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(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 6月 3日(土)20時47分32秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
   
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月26日(金)22時51分25秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  何もしないことであなたは幸せになれる

あなたの周囲に満ち溢れた人がいるなら、彼は循環を担っている人だ。彼は多くの人々に支えられ、多くの幸せに包まれている。だが理解すべきことは、あなたの数百倍も何もしていないということだ。
何もしないことで、彼の世界はそのように包まれる。あなたの努力とは文字通り徒労であり、実のところ何も生み出さない。それどころか、 とても小さく制限された穴の中で一生を終えることになる。
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あなたは変化の中にいる
すべては循環している。それらを一切の抵抗なく流していくことが本来のあなたの役割だ。人生という物語では色々なことが到来する。人間関係、恋愛、お金、仕事、夢や嗜好、それらは宇宙という巨大な新陳代謝を各々の観念を通じて捉えているに過ぎない。出会いや別れ、獲得や喪失といったものを人間ドラマとして錯覚するが、実際は何かを得たわけでも、何かと別れたわけでもない。ぐるぐると巡っている大きな流れの中で「自分」という覗き枠を作ってその中を眺めているだけである。
ゆえに流れ行く森羅万象に心を囚われるのは、苦以外のなにものでもないのだ。自分というスコープの中に見えたものだけを感じるだけでいい。”実際的に生きる”とはごく単純なことなのだよ。そこで見えないものに想いを馳せるからネガティブにやられるのだよ。
?
闘わない
大事なのはそれがどんなことであれ、闘わないことだ。闘うとは抵抗を意味する。出来事がやってきたらそのまま受け流していくだけだ。あなたが抱える苦悩とは心の葛藤以外のなにものでもない。世の物事にそんな力はなく、敵とは町会のおばさんでもなく、請求書でもなく、常にあなたの心なのだ。
レジスタンスは常に危機的状態にあり、不条理という戦場でドンパチを続けなきゃならない。「勝利を掴め」という旗を掲げてあなたは闘い続けているが、その大きな勘違いに気が付く必要がある。それはどこかの国のテロ組織と変わらない。
彼らはそこにドラマを見ている。自分達が勝利することで家族を守ることができ、敗北すれば人々に悲しみをもたらす。だから彼らは「幸せを掴むため、未来のために」闘い続けなければならない。馬鹿げていると思わないかね? あなたの人生も似たようなものだ。自ら葛藤を作り出して周囲を巻き込んでいるに過ぎない。
勝たなければならないという状況に常に追い込まれているゆえに、勝利したときの感動が美しいものに見えるが、その輝きは一瞬で失われる。勝利すらも宇宙の単なる代謝作用だからだ。そんなものに囚われちゃいけないよ。全部流れていくものだ。
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気楽な人生
「目の前に戦いがきたら逃げろ」ということではない。逆だよ。そこに戦いがあれば戦いなさい。拒むことが抵抗、つまり「闘い」なのだ。これは先の話とは違うから取り違えてはならない。レジスタンスは誰とも闘っておらず、自分という幻と終わりなき闘いを続けているのだ。
だがそれとは違い、目の前のことは向き合うことができる。あなたが”そこにあるものと向き合う”という在り方を貫くとき、一切の苦は消滅する。それは「いま」そこにあるものだからだ。それはどうにでもできる。思い出してごらん、あなたの心が重苦しいときとは、目の前のことを避けようとしているときに限られているはずだ。心の中でちびっ子たちが決死の闘いを繰り広げている。
闘い、つまり未来や過去というマインドを持ち込まず、目の前のことだけに向き合うことほど気楽なものはない。やってみればわかる。人生は常に難易度の変更が可能なのだよ。
?
心の重さ
私たちは重力に支配された世界に生きているが、スピリチュアルの観点で見るなら重力とは心の重さを意味する。あなたが幸せだと感じるのはどういうときだといえば、それは解放されたときだ。そのときあなたは重力を感じていない。
冥想が深まれば宙に浮く覚者もいるというが、それが事実かどうかはどうでもいい。大事なのは思考という縄があなたを現実に固定しているということだ。それを断ち切るとき、あなたは自由の存在となる。
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ひとつの場所に留まらない
幸せに到達したいなら最初だけあなたの変化が必要となる。”変える”というよりも本来の在り方に戻すような感じだ。ちょうどギターやピアノの調律に似ている。音叉を鳴らし、その音と波が合うように弦を巻いていく。
外側に向いている意識を内側に向けると、乱れていた自己意識が正しくチューニングされる。つまり現実と一緒に流れていかないスタンスを自分の中に見ることができる。
一旦それを見つけたらオーケーだ。もう自分を変える必要はなくなる。あなたは見たこともない花を見た。それは見たこともなかったから想像することもできなかった。だが一度見てしまえば、それを作り出そうとか、解釈しようとか、そういう「何かをする」ことなくあなたはその花を備えている。
あなたが自分の中にその花を持ち運んでいるとき、世界のすべてはどんどん流れていく。鼻先を見つめながら歩いているようなものだ。鼻先はそこにあるが周辺の風景はただ流れていく。
?
努力はいらない
流れているものを流していくことに、一体どんな努力が必要なのだろう?人との出会いがあり、やがて彼は去って行く。どこにあなたの努力を注ぎ込むところがあるというのかね?お金が入ってきてそれが何かの出来事で消えていく。どこにあなたのテクニックを要するのだろう?
あなたは「私は不幸だ」とよくぼやくが、そこに不幸があるならその不幸を眺めていればいいのだよ。それを流すまいとするから不幸となるのだ。不幸とは外の何かが与えたものではなく、すべて自分が作り出したものだ。
そこに戦いがあれば戦えばいい。そこに仕事があれば仕事をすればいい。それらの内容に囚われて闘うのではなく、戦いや仕事が目の前にやってきたことを流していくのだよ。抵抗する者を捨てなさい。
?
自分と出会う
ただ受け流していくというコツを掴めば、あなたは「何もしないでいい」という境地に達することになる。すると自我というダムは決壊し、あらゆるものがあなたの周囲に流れてくるようになる。マインドの解釈でいけば、中には大変なものも含まれる。だがあなたはすでに現実に荷担しないゆえに、その真逆の宝物もやはり手にすることになる。あなたは何もしていない。それらはただ流れてきただけだ。
そしてその先に気が付くだろう。
「なんだ、良いことも悪いことも全く関係なかったんだ」とね。
いまはまだ理解できないだろうが、手にすればわかる。それこそがあなたが最も欲しかったものだ。なぜ欲しかったのかといえば、それが本来のあなたの姿だからである。やっと本当の自分と巡り会えたのだよ。








 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月26日(金)14時48分1秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 






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(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月25日(木)23時28分59秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 




,
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月25日(木)05時31分45秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  あなたがいるからこの世界がある

この手記のタイトル「あなたがいるからこの世界がある」は、たとえばあなたが重い現実を抱えているなら「私がいるせいで、みんなに迷惑をかけているのか」となるし、ハッピーであるならば、まさに心が世界に映し出されてると実感するだろう。
どちらもその通りだ。つまりタイトルは二面的ではない。あなたが気づかなければならないのは、朝も夜も、男も女も、幸せも不幸も、それを浮かびあげている「自分」という一元性に鍵があること。つまりこの世に責任は一切ないということだ。
?
1.
人生の問題を解決するというのは、たくさんお金を稼ぐことでもなく、理想の相手と一緒になることでもない。誰かを打ち負かすことでもない。そうなってもまた「足りない、足りない」と慌てふためくだけだ。
つまり解決とは外側をどうにかすることではなく、「自分のことを解決する」ということにある。あなたがいまどこにいて、どんな状況にあろうとも、「自分」こそが人生最大の問題であり、それだけが人生で着手すべき、たったひとつのプロジェクトなのである。
?
2.
そりゃ食べるために働いているのだろう。だが「食べなきゃならない」とばかり言って繰り返してると、いずれ死がやってくる。死んじまうと食べられない。じゃあ何のために必死に食べてきたのか。生きるために食べてきたはずだ。
生きるってなんだ?それはたくさんのことを体験するということだ。別に大層なことをやれってわけじゃない。それをしたから何だってわけでもないし、何かを獲得するわけでもない。
そんなことはどうでもいいのだよ。ただ潮風に包まれて、人々の群れの中を歩いて、笑ったり嬉しかったり感動したり、そういうことに「積極的に触れていくこと」にあるのだ。
?
3.
いまのあなたの人生は、充電したバッテリーを一度も使わずに放電させてるようなものだ。空っぽになったら不安だからとまた充電をはじめる。その電力をまったく活用していない。
生の本題とはバッテリーをフル活用すること、つまり「生きること」をフル稼動させることにある。それはバッテリーが生み出す創造的なパワーにビリビリしびれるということだ。

日常生活のなかで常に生という電力を感じてみるといい。ならばどんな小さなことでも幸せを見つけられるようになるし、世界の探検を(恐ることなく)日々深めていくこともできる。あなたはいくらでもクレイジーになれるのだ。
そしてベッドに逃げ込んで「今日は最高だった」と笑顔で眠りに入りなさい。それが祈りとなる。明日も目覚めとともに神秘が開かれるようになる。生きてるって素晴らしいことなのだと思えるようになるだろう。
?
4.
この世は虚無のうえに浮かんだ夢にすぎない。何かを深くこだわったところで、その否定しか見えてこないようになっている。だから恋愛にしろ暮らしにしろ、「狭くこだわること」が人生に虚しさを感じさせる要因となるのだ。もともと「何もない」のだからね。
許せない人、許せない出来事はそれ自体を解決するものではないということだ。あなた自身が許せる人間にならなければ、その夢は解き放たれない。
もちろん物事にこだわるから「虚無」なのであって、お金も他者も夢であるとわかっていれば、それは虚しいものではない。
その無、つまり絶対的な否定性とは何かといえば、死のことだ。
?
5.
あなたはいずれ肉体の死と直面する。
つまり「生きていく」ということは「死に向かっている」ということになる。「私は生きていくぞ」とは「私は死んでいくぞ」と同義、「生=死」だ。
だから自分が「死する存在であること」を片時も忘れずにいることで、生を鮮烈なものにすることができる。逆にいえば、食べていかなきゃならないということだけに気持ちが向いているというのは未来志向、すなわち死を回避したいという思いが根底にあるわけだが、それは同時に生を遠回りしているということであるのだ。
迂回してもたどり着く先は同じだ。「迂回することが全人生だった」ということほど虚しいものはない。
?
6.
あなたは瞬間ごとに死んでいる。今日死ぬし、明日も死ぬ。1秒後にも死んでるし、1秒前など存在しない。
この世はすべてを吸い尽くしていく巨大な掃除機のようなものだ。その渦にすべてが吸い込まれていく中で「存在」という答えを出せるのは「いま生きていること」にどっぷりと浸かるあなたの姿だけなのだ。
それが人生を解決するということだ。あなたが自分自身を活動の舞台として取り扱うならば、すべての他者や物事は許される。そうして世界を解き放ちなさい。闇のなかで輝く光となること、それがあなたがその生で託された、たったひとつの仕事なのだから。
あなたの存在そのものが、この世界のすべての「理由」なのだよ。




 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月22日(月)07時47分22秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  瞑想の段階

毎日に疲れているなら
あなたは自己を逃している
無意識に生きているからだ
他者や物事といった
外側の反応に追われ
毎日同じ時間に同じことを考えている
昨日、先週、先月、
いったい何が違うというのだろう?
まるで場面の変わらない紙芝居
同じ絵で静止したまま
人生だけが過ぎていく
それは生きているというよりも
命を浪費しているだけ
あなたは「今日をやり過ごそう」
としているが
いつまでそれをやるのだろう?
「他にやることがないから」
「やりたくない仕事もやらないと」
とまあ口を開けばまたお決まりの言葉だ
あなたが「パターン」から
抜け出すためには
やりたいことを探すことでもないし
胸が熱くなるように仕向けることでもない
自分が無意識であることに気付いて
それを金輪際やめるだけだ
つまり瞑想的に生きるということ
瞑想とは意識を内側に
繋ぎとめておくことだから
どんなことも瞑想にすることができる
コップを持つこと
食べることや歩くこと
誰かとの会話も仕事も瞑想になる
つまり行為がメインではないのだよ
意識をしっかりと掴んでおく
それさえできれば
あなたは神秘の世界に到達できる
疲れることもなく
苦悩することもなく
完全に解放された自由な世界で
あなたは伸び伸びと暮らすようになる
それだけじゃない
物事はどんどん好転し
あなたがかつて望んでいた人生に
気が付けばそうなっているようになる
それは決して
今の環境を変えるということではない
あなたが変わるから世界が変わるのだよ
?
瞑想の段階
瞑想状態は自己に対する
何らかのアプローチを経て到達する
そのアプローチを強引に
「段階」として記してみると
・内省
・自己想起
・自己観照
この3つとなる
多くの人々が瞑想だと思って
やっているのが内省だ
壁を見て壁について考える
呼吸の出入りを見て
呼吸について考える
心は静まるかもしれないが
それはリラクゼーションの域を
超えることはない
対象に囚われているから
自己がない
自己に向ける意識がない
で「これじゃ光明が起こらない」と
また考え出す
考え続ける限り、
マインドに抱かれたままとなる
次に自己想起の段階がある
強烈な自己イメージが起こり
世界が自分を中心に
広がっている感覚が起こる
いわゆる「いまここ」や
「私は在る」という状態
自分の名前を意識して
自分をここに存在させてごらん
また何かに触れるとき
その何かだけでなく
触れている自分にも
同時に意識を向けてごらん
見ること
聞くこと
どんなことも双方向に意識を向ける
すると意識の変容が起こる
体にまとわり付いていた何かが
足元に溶け落ちる感覚が起こる
視界がぐっと明るくなる
両足が大地に接地する感覚が起こる
時間の経過が消えて
永遠の中を泳いでいるような感覚になる
これが目覚めや光明といわれるもの
だが最初のうちは一瞬で終わる
思考が邪魔をするからだ
この「目覚め」の次元は
思考から離れたときに開かれる
つまり未来と過去に意識がいかず
「いま」に自己が存在している様子
しばらくはこの状態を維持できるよう
頑張ってみるといいだろう
1日中自己想起を
続けられるようになる
そして次の段階に自己観照がある
あなたは別の場所から
自己を見ている
あらゆる光景が目の前で流れるだけの
テレビ映像のようになる
すべてのリアリティが消滅して
ふとあなたはこの世の正体に
気付いてしまう
何も実在しない
何も実在しないゆえに
すべてが私となる
石ころも
花も
遠ざかる車も
すべての人や物の背後にある
漠然とした何かを感じる
それが神であるなら
神とはこれを観ている私である
だが私はどこにもいない
生きながら死んでいる状態
スピリチュアルではこれを不死性という
自己想起も全体性に触れているが
自己観照は全体性そのものとなる
流れ出るままに
パラパラと書いてみると、、
自由であるというよりも
連動感、一体性、「それそのもの」、
サマーディ、
幸福感というよりも喜び、
1mmも動けない
距離は失われる
すべてが貼り付いている
充満しているひとつの空間
鐘の余韻のような世界
記憶
昨日も明日も同じ空間にある
すべてが同時に起きる、、
いま出てくるのはこんな感じだね
自己想起が狭く深い、
貫いている感じがあるのに対し
自己観照は無限に広いが奥行きはゼロだ
すべてが私の部分であるようになる
常に完結が過ぎていく
だがこれらはあくまで
私がいまここで書いている表現に過ぎない
大事なのはあなたが
「この文章が見えていること」に
気付いていることなのだよ






 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)22時07分49秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 




.
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)22時01分53秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 




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(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)17時23分28秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 







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(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)13時02分6秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 



 

掲示板が完成しましたキラキラ

 投稿者:teacup.運営  投稿日:2017年 5月 7日(日)22時21分8秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  ご利用ありがとうございます。

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