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(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 7月20日(木)15時41分56秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用 編集済
  わたしは誰か


有名な道標だ

「わたしは誰か」

あなたが見ているとき

誰が見ているのか

あなたが味わっているとき

誰が味わっているのか

意識は常に「意識しているもの」に

焦点を合わせる

目の前のテレビが衝撃的なニュースを

放映しておれば

あなたの全意識はニュースに向かう

テレビという物体は意識しない

見えていない

その放映内容にだけ意識が向いている

そしてニュースの内容が明らかになり

あなたは

「おっと今からあれをしないといけない」

「あ~あ 仕事面倒くさい」

など思考に意識が向きだす

目の前にテレビがあるが

もうそこに意識は向いていない

テレビの方を顔は向いており

視界に入っているのに

あなたは見えていない

意識が別のこと、

ここでは「思考」に焦点を合わせたのだ

「呼吸」という文字を見れば

あなたは途端に呼吸に意識が向く

「今月の支払い」という文字を見れば

あなたは途端にそれを思い出す

そうして不安になったりする

「不安」という感情に意識を向けたのだ

音、匂い、など

そういう文字を見れば

あなたの意識はそこに向く

突然目の前のテレビが

可愛い女の子を映し出した

するとあなたの全意識がそこに向く

呼吸も音も支払いも

そこにはない

つまり

あなたの意識を向けたもの

それが世界だ

さらに言えば

常にそこに何でもあるのだ

意識が向いているか

そうでないかの違いだけ

不安という思考も

いつもそこに漂っている

不安じゃないときとは

単にそれに意識を向けていないだけ

幸福も常にそこに漂っている

繰り返すが

思考も感情も物も出来事も

すべてそこに漂っている

常に在るのだ

どれに意識を向けたか

意識を向けたときに実体化する

?

だから思考も感情も

あなたではないのだよ

この記述を映している画面は

あなたではないことを

あなたは知っているだろう

思考も感情もそれと同じ

液晶画面がそこにあったことすら

忘れていただろう

あなたの腕や手、足、肉体

それらもあなたではない

呼吸もあなたではない

意識を向けたときに

それが実体化しているだけである

ずっとそこにあったのだ

だがあなたの世界には

まだ実体化していなかった

意識を向けたときに

「あなたの世界に」実体化する

あなたの世界にまだないときも

そこにある

あなたの世界、

つまりあなたの意識している世界の外には

すべて揃っているのだよ

まるで品揃えの豊富な商店だ

なんでもある

だが今日あなたはマッチを買いに来た

だからマッチしか目に入らない

だがマッチの隣に「不安」が置いてあった

あなたは「不安」に目が留まる

あなたの体験するもののすべて

それは商店の陳列商品だ

思考すらも商品のひとつ

?

さて

ではその「あなたという肉体」を通じて

それらを見ているのは一体誰なのだろう?

もちろん、あなたもあなたではない

あなたすらも陳列商品だ

そこに意識を向けられるもの、

それはすべて商品

じゃあ意識を向けている光源とはどこだ?

どこにある?

商店を渡り歩いているあなたを

見ているのは誰だ?

あなたが見ているとき

本当は誰が見ているのか

この摩訶不思議な映画体験

それがあなたの人生という

意識世界のお話

映画の撮影現場には

スクリーンで映されるストーリー以外のもの

つまりそのシーン以外の

別のシーンで使うものが

沢山、脇に準備されている

いまは血生臭い戦闘シーンだ

そこに甘いスイーツを食べて微笑む

女子高生たちの談話はない

だけども戦闘シーンのすぐ脇に

女子高生たちの平和が置いてある

戦闘シーンが映るスクリーンが

あなたの意識世界

あなたの意識を向けたものが映っている

つまり

そんなものに

意識を向けなければいい

向いたことに気が付いたら

向けることをやめればいい

?

女の尻ばかりを追いかけてる男性は

まさに「女の尻」という桃色ストーリーが世界だ

危険もつきまとうだろう

亭主が出てきたり

性病になったり

お縄になったり

だけども

そんなことに意識を向けない限り

そうならない

犯罪者は

それが犯罪であることをわかっているから

捕まるのだ

「犯罪であること」が彼の世界で実体化する

つまり罪悪感のない行為に罪はない

そういう犯罪者は決して捕まらない

犯罪ではないからだ

自らが犯罪者であることを知らない

?

幸福なカップルが草原を笑顔で駆け巡る

踏みつぶされた草

子どもの誕生日にステーキをご馳走する

美味しさに満面の笑顔

殺された仔牛

だから犯罪も、罪もないのだ

あなたが「そう」とするから

それが「そう」なる

都合の良いメソッド

それも正しい

現に「幸福な状態」にある人は

日常に関わるすべてに

「幸福」のシールを貼る

例えば「猫と暮らせて幸せだ」

「おいしい!しあわせー!」とかね

シールを貼らなければ

ただの猫、ただの飯だ

それどころか

「なんで猫の面倒まで見なきゃならないの?」

「食べたらまた太る、嫌だなあ」

そういう「不幸」のシールすら貼ることもできる

「苦」が出てくれば

そこに同化しないこと

そして

最初からすべて用意されていることを悟る

全部そのスクリーンの脇に置いてある

これがシンクロニシティや引き寄せのカラクリだ

偶然などない

すべてのサイコロの出目は

そこに並べて置いてある

さらにあなたを通じて

一体誰が経験しているのか、

そういう「質問」を常に覚えておく

そうすればいずれ

すべてが夢物語であることに気付くだろう

夢を夢だとわかっている明晰夢に

あなたは生きていたことを知るのだ






 
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 7月14日(金)06時43分36秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  いつも初めてここにいることを忘れない

一緒に暮らす奥さんや旦那さんを

最後に見たのはいつかね?

「今朝顔を合わせたばかりだけど」

いいや、あなたは誰も見ていない

一緒に暮らしていながら

ずっと独り芝居をやっているのだよ


部屋にたくさんのものがあるだろう

見慣れた古いものばかりなら

それはあなたが

何も見えていないことを意味する

奥さんを初対面のように見てごらん

長年一緒のつもりでいただろうが

実はそこにいるのは

まったく知らない人なのだよ

今まであなたが見てきたのは

既知という錯覚が起こす”古さ”だ

つまりあなたは彼女という存在を見ず

自分の思考を観てきた

そこにあるコップや椅子

朝や空、水もそう

しっかり見て感じてみなさい

それは「古いもの」なのかね?

本当に見慣れたものなのかね?

昨日からテーブルに置かれたコップを

そこで見ているとき

コップは昨日のそれとは違う

あなたの体験は常に「いま」だからだ

昨日から置いてあるという情報に

惑わされてはならない

いまそこでそれを見ているのだよ
?

幻想の世界から抜ける

古さとはあなたが

見ることをやめたときの代用として

置き換えられるもの

目は開いているのに何も見ていない

だから使い古された退屈な世界が

いつも広がっているのだ

初めて見るということを思い出すとき

目は本来の力を取り戻すようになる

子どもたちの世界は

いつも驚きと感動で満ちあふれている

何も知らない、未知の次元にいる

逆にあなたは何もかもを知っている

「それはこういう理由でここにある」

そんなことを言い出す

悟りの片鱗に触れたところで

「ああ、本で読んだことがある」と

既知の枠から出ることはない

一体何を知っているというのだろう

それを体験しているあなたは

いまここにいるのに

何を知っているというのだろう?

この世のすべては動きの「途中」にある

あらゆる体験とは

その終わりなき経過の瞬間を

捉えているに過ぎない

つまり万物は決して古くならないのだ

古いということがありえない

いつも新しい状態で

そこに顕現している

ゆえに世界が古いと感じられるとき

それはあなたの目が

閉じられたままだからなのだよ

?

花はすぐ側で咲いていた

覚えておきなさい

生とは常に”新しさの中”にある

未知という次元にそれはある

つまりあなたの”見方”のことだ

神秘が陳腐になるかどうかの権限は

あなたに与えられているのだ

イエスは幼子のようになれと言った

それは思考を見ることなく

見るもの触れるものを正しく見よ、

ありのままに感じなさいということだ

世界との純然な分かち合いが起こるとき

あなたは過去を捨てることができる

つまり苦悩が消滅する

それはいまここで可能だ

奥さんや旦那さんをしっかり見なさい

初めて触れ合うように見てみなさい

出会った頃の雰囲気

まとっていた空気

その人を通じて感じたチャーミングは

いまもここに表現されている

なぜならば、あなたのその”感覚”が

その人の本当の姿だからだ

彼らはあなたのハートが姿を変えたもの

笠地蔵のことだよ

以前あなたはそこに愛情を見た

一緒にやっていこうと誓った

その思いはちゃんと

あなたの側で花咲いていたのだよ

ただあなたが眠りこけて

全く違うものと関わっていただけだ

そこにある服や靴

以前いいなと思って手に入れたもの

いまそれらに対して

どんな解釈を持っていたとしても

すべてはあなたの思いの結晶なのだ

そうした”自分自身”に

正しく向き合うことで

思考という淀みは落ちていく

世界の方から躍動溢れる次元に

エスコートしてくれるようになる

誰もがなぜ幸せを望むのかといえば

幸福が世界の、

そしてあなたの本性だからだ

せっせと思考を掻き分けている様子が

“苦悩”であり

草むらの向こうに幸福が見えるから

「もっと頑張れば掴める」と錯覚する

そうではなく

瞑想的な生き方を習慣としなさい

あなたを思考という眠りから

目覚めさせてくれる

コツは「初めて観る」だ

対象に意味を与えることなく


ありのままに流していけるだろう



 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 7月14日(金)05時59分36秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  いちばん最後でいい

いまを感じられるかな

1秒後の未来でも

1秒前の過去でもなく

たったいまのそこ

0秒のそこ

それが「いま」だ

透明の空間に包まれている

それは暖かく

優しく

安らいでいる

「いま」はともだち

あなたをいつも待っていた

一緒に歩き出せば

もう怖いものはない

世界での順番なんて

最後でいい

 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 7月13日(木)20時47分57秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  ただ私があなたに返すものは日々の手記と同じものだ。常に「いま」に在りなさい。

悩みごとがあるなら、それを悩むだけだ。いまそこにある「悩むこと」「苦しむこと」を感じることだ。

あなたが本当にそれらを正面から感じることができるなら、苦悩は消え去るだろう。

目的地を見てはならない。先を見ようとするから人生が常に闇となる。あなたの人生とは「将来の

こと」ではなく、「いまそこでやっていること」なのだ。将来を変えたいなら変えようとしている

「いま」を生きなさい。

健康の問題、お金の問題、人間関係の問題、すべての「問題」は必ず未来にある。決して「いま」

にはない。未来や過去を見ず、たったいま、自分のどこに不幸があるのかね?「いや不幸ですよ」

というなら、それは未来を参照しているはずだ。

遠くを見ず、足を着けている地面を見ながら歩いていく。すると勝手に光景は変わっているのだ
よ。

人生はそれと同じものだ。
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 7月13日(木)18時42分50秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用 編集済
  誰もいなくなる世界

あなたは人がどんどん消えていることに

気が付いているかね?

これまで多くの人々と関わってきたね

あなたの中をみんな通り過ぎていった

幼少期から現在に至るまで

学校や園の先生やら

町会のお兄ちゃん、学生時代の友人

昔の彼氏や彼女、

よく利用していた本屋の店員

もう誰もいない

誰もいなくなったね

引っ越ししたからだとか

学生時代の親友はいまも続いてるだとか

それはそうなのだろう

だが”それらしい事情”に誤魔化されず

当時の人々が「いま、いるかいないか」

とすればどうかね?

覚えておきなさい

あなたの成長とともにみんな消えていく

なぜなら彼らとは

あなたの「心の迷い」だったからだ

心の不安定な一面

解消されない一面が

カタチとして現れたものだ

人だけじゃない

趣味の物も建物も

いまそこで見えている光景ですら

消化不良の産物だ

あなたが完全な体験をして

それはゼロとなる

完全とはどういうことかといえば

「思い」という影を残さないということ

だからここは心の残像世界

つまり生とは不完全性を意味する

誰かと関わっているとき

目の前にその人がいるときでさえも

あなたは何かを妄想している

スッキリしない何かを心に作り上げている

それが影だ

潜在意識やら阿頼耶識など呼ばれるもの

つまりあなたの世界を生成してる根源となる

余韻はリアルのものではない

だがあなたはいつも余韻を見ている

それが体験を消化させないのだよ

だから似た傾向の人や物事が次々と現れる

よく「人生の暗いトンネルを抜け出せた」

そんな話を聞いたりするが

要は同じ観念を持ち続けることを

やめただけだ

「人は成長する」というのも

何かを掴んだというニュアンスがあるが

実際は何かを積み重ねたのではなく

何かを手放したということだ

それが「成長」の意味するところだ

あなたが完全となるとき

つまり自分という痕跡を消し去るとき

世界は本来の状態に近付いていく

空や無といわれる様子

自他の分離が消えた世界が姿を現し出す



あなたのやるべき仕事

仏教などでね、

「生きることとは

学ぶこと、修業をすることだ」

そのように伝えられているが

表現のしかたはどうであれ

生そのものが、ただの消化不良なのだよ

例えば街を歩いていて

すれ違う通行人が何を考えているか

そんなことを思ったことがあるかな

いいかい、すれ違う人々は

あなたと同じことを考えている

しかもよく見てみれば

あなたと同じことをやっている

何かを気にしていたり

レジ待ちで苛立っていたりね

ここは心の世界だということだ

あなたの前に現れる人々は

全部あなたなのだよ

つまりあなたが彼らを

解放させてあげなきゃならない

それはつまり

己を解放させるということだ

あなたが彼らの魂を掴んで離さないのだ

だから手を放してあげなさい

許してあげなさい

世界はあなたに支配されている

その執着こそが

自らへの苦悩となっている

放った矢は自分に向かって突き刺さる

世界を浄化しなさい

古い自分を捨てて

いつも新しくありなさい

誰かさんのことは一切考えなくて良い

目の前にいるときだけ

しっかりエスコートしてあげればいい

そうして循環の歯車を

どんどん回していくことだ

見えるものは見る

触れるものは触れる

気になることはやってみる

何でもすぐに取り掛かってみる

自分から”こと”を起こすのだよ

いまあなたがそこでやるのだ

世界にあるすべての楽しさ、

すべての悲しさを

次々と味わい尽くしていきなさい

これまで蓄積されていた種子が

いくつも顕現するだろうが

気にする必要はない

消化することでそれはもう起こらない

あなたが目を背けていたから

それはずっと残っていただけだ

そうやって彷徨っていた魂を

ちゃんと帰還させてあげよう

世界の管理者、

それがあなたの本当の仕事なのだ

何らかの職業についているなら

それも心の作り出したものだ

あなたはなるべくして

その仕事に就いている

従事することで「何が解放されるのか」を

意識してみるといいだろう

その生は個人活動のためにあるのではない

何百世にも渡って心が残したものを

デトックスさせるために

あなたは送り込まれたのだよ

だから大いに体験をするべきなのだ

しなきゃならんのだよ

世界はあなたのためにある

あなたが活動するために

全部用意されている

だがそれは「あなただけのため」ではない

あなたは「プレイヤー」ではない

そこは間違えてはならない

世界のすべてはあなただ

だからあなた自体も浄化対象だ

生き残りを賭けた、とか

そんな表面レベルの話ではなく

何も無い状態に綺麗さっぱり戻すことだ

不安がる思考も落ち

漠然とした空間だけが露わになる

そうすれば”完全”となる

それがあなたの還る場所なのだよ
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 6月 3日(土)20時47分32秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
   

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月26日(金)22時51分25秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  何もしないことであなたは幸せになれる

あなたの周囲に満ち溢れた人がいるなら、彼は循環を担っている人だ。彼は多くの人々に支えられ、多くの幸せに包まれている。だが理解すべきことは、あなたの数百倍も何もしていないということだ。
何もしないことで、彼の世界はそのように包まれる。あなたの努力とは文字通り徒労であり、実のところ何も生み出さない。それどころか、 とても小さく制限された穴の中で一生を終えることになる。
?
あなたは変化の中にいる
すべては循環している。それらを一切の抵抗なく流していくことが本来のあなたの役割だ。人生という物語では色々なことが到来する。人間関係、恋愛、お金、仕事、夢や嗜好、それらは宇宙という巨大な新陳代謝を各々の観念を通じて捉えているに過ぎない。出会いや別れ、獲得や喪失といったものを人間ドラマとして錯覚するが、実際は何かを得たわけでも、何かと別れたわけでもない。ぐるぐると巡っている大きな流れの中で「自分」という覗き枠を作ってその中を眺めているだけである。
ゆえに流れ行く森羅万象に心を囚われるのは、苦以外のなにものでもないのだ。自分というスコープの中に見えたものだけを感じるだけでいい。”実際的に生きる”とはごく単純なことなのだよ。そこで見えないものに想いを馳せるからネガティブにやられるのだよ。
?
闘わない
大事なのはそれがどんなことであれ、闘わないことだ。闘うとは抵抗を意味する。出来事がやってきたらそのまま受け流していくだけだ。あなたが抱える苦悩とは心の葛藤以外のなにものでもない。世の物事にそんな力はなく、敵とは町会のおばさんでもなく、請求書でもなく、常にあなたの心なのだ。
レジスタンスは常に危機的状態にあり、不条理という戦場でドンパチを続けなきゃならない。「勝利を掴め」という旗を掲げてあなたは闘い続けているが、その大きな勘違いに気が付く必要がある。それはどこかの国のテロ組織と変わらない。
彼らはそこにドラマを見ている。自分達が勝利することで家族を守ることができ、敗北すれば人々に悲しみをもたらす。だから彼らは「幸せを掴むため、未来のために」闘い続けなければならない。馬鹿げていると思わないかね? あなたの人生も似たようなものだ。自ら葛藤を作り出して周囲を巻き込んでいるに過ぎない。
勝たなければならないという状況に常に追い込まれているゆえに、勝利したときの感動が美しいものに見えるが、その輝きは一瞬で失われる。勝利すらも宇宙の単なる代謝作用だからだ。そんなものに囚われちゃいけないよ。全部流れていくものだ。
?
気楽な人生
「目の前に戦いがきたら逃げろ」ということではない。逆だよ。そこに戦いがあれば戦いなさい。拒むことが抵抗、つまり「闘い」なのだ。これは先の話とは違うから取り違えてはならない。レジスタンスは誰とも闘っておらず、自分という幻と終わりなき闘いを続けているのだ。
だがそれとは違い、目の前のことは向き合うことができる。あなたが”そこにあるものと向き合う”という在り方を貫くとき、一切の苦は消滅する。それは「いま」そこにあるものだからだ。それはどうにでもできる。思い出してごらん、あなたの心が重苦しいときとは、目の前のことを避けようとしているときに限られているはずだ。心の中でちびっ子たちが決死の闘いを繰り広げている。
闘い、つまり未来や過去というマインドを持ち込まず、目の前のことだけに向き合うことほど気楽なものはない。やってみればわかる。人生は常に難易度の変更が可能なのだよ。
?
心の重さ
私たちは重力に支配された世界に生きているが、スピリチュアルの観点で見るなら重力とは心の重さを意味する。あなたが幸せだと感じるのはどういうときだといえば、それは解放されたときだ。そのときあなたは重力を感じていない。
冥想が深まれば宙に浮く覚者もいるというが、それが事実かどうかはどうでもいい。大事なのは思考という縄があなたを現実に固定しているということだ。それを断ち切るとき、あなたは自由の存在となる。
?
ひとつの場所に留まらない
幸せに到達したいなら最初だけあなたの変化が必要となる。”変える”というよりも本来の在り方に戻すような感じだ。ちょうどギターやピアノの調律に似ている。音叉を鳴らし、その音と波が合うように弦を巻いていく。
外側に向いている意識を内側に向けると、乱れていた自己意識が正しくチューニングされる。つまり現実と一緒に流れていかないスタンスを自分の中に見ることができる。
一旦それを見つけたらオーケーだ。もう自分を変える必要はなくなる。あなたは見たこともない花を見た。それは見たこともなかったから想像することもできなかった。だが一度見てしまえば、それを作り出そうとか、解釈しようとか、そういう「何かをする」ことなくあなたはその花を備えている。
あなたが自分の中にその花を持ち運んでいるとき、世界のすべてはどんどん流れていく。鼻先を見つめながら歩いているようなものだ。鼻先はそこにあるが周辺の風景はただ流れていく。
?
努力はいらない
流れているものを流していくことに、一体どんな努力が必要なのだろう?人との出会いがあり、やがて彼は去って行く。どこにあなたの努力を注ぎ込むところがあるというのかね?お金が入ってきてそれが何かの出来事で消えていく。どこにあなたのテクニックを要するのだろう?
あなたは「私は不幸だ」とよくぼやくが、そこに不幸があるならその不幸を眺めていればいいのだよ。それを流すまいとするから不幸となるのだ。不幸とは外の何かが与えたものではなく、すべて自分が作り出したものだ。
そこに戦いがあれば戦えばいい。そこに仕事があれば仕事をすればいい。それらの内容に囚われて闘うのではなく、戦いや仕事が目の前にやってきたことを流していくのだよ。抵抗する者を捨てなさい。
?
自分と出会う
ただ受け流していくというコツを掴めば、あなたは「何もしないでいい」という境地に達することになる。すると自我というダムは決壊し、あらゆるものがあなたの周囲に流れてくるようになる。マインドの解釈でいけば、中には大変なものも含まれる。だがあなたはすでに現実に荷担しないゆえに、その真逆の宝物もやはり手にすることになる。あなたは何もしていない。それらはただ流れてきただけだ。
そしてその先に気が付くだろう。
「なんだ、良いことも悪いことも全く関係なかったんだ」とね。
いまはまだ理解できないだろうが、手にすればわかる。それこそがあなたが最も欲しかったものだ。なぜ欲しかったのかといえば、それが本来のあなたの姿だからである。やっと本当の自分と巡り会えたのだよ。








 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月26日(金)14時48分1秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 






,
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月25日(木)23時28分59秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 




,
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月25日(木)05時31分45秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  あなたがいるからこの世界がある

この手記のタイトル「あなたがいるからこの世界がある」は、たとえばあなたが重い現実を抱えているなら「私がいるせいで、みんなに迷惑をかけているのか」となるし、ハッピーであるならば、まさに心が世界に映し出されてると実感するだろう。
どちらもその通りだ。つまりタイトルは二面的ではない。あなたが気づかなければならないのは、朝も夜も、男も女も、幸せも不幸も、それを浮かびあげている「自分」という一元性に鍵があること。つまりこの世に責任は一切ないということだ。
?
1.
人生の問題を解決するというのは、たくさんお金を稼ぐことでもなく、理想の相手と一緒になることでもない。誰かを打ち負かすことでもない。そうなってもまた「足りない、足りない」と慌てふためくだけだ。
つまり解決とは外側をどうにかすることではなく、「自分のことを解決する」ということにある。あなたがいまどこにいて、どんな状況にあろうとも、「自分」こそが人生最大の問題であり、それだけが人生で着手すべき、たったひとつのプロジェクトなのである。
?
2.
そりゃ食べるために働いているのだろう。だが「食べなきゃならない」とばかり言って繰り返してると、いずれ死がやってくる。死んじまうと食べられない。じゃあ何のために必死に食べてきたのか。生きるために食べてきたはずだ。
生きるってなんだ?それはたくさんのことを体験するということだ。別に大層なことをやれってわけじゃない。それをしたから何だってわけでもないし、何かを獲得するわけでもない。
そんなことはどうでもいいのだよ。ただ潮風に包まれて、人々の群れの中を歩いて、笑ったり嬉しかったり感動したり、そういうことに「積極的に触れていくこと」にあるのだ。
?
3.
いまのあなたの人生は、充電したバッテリーを一度も使わずに放電させてるようなものだ。空っぽになったら不安だからとまた充電をはじめる。その電力をまったく活用していない。
生の本題とはバッテリーをフル活用すること、つまり「生きること」をフル稼動させることにある。それはバッテリーが生み出す創造的なパワーにビリビリしびれるということだ。

日常生活のなかで常に生という電力を感じてみるといい。ならばどんな小さなことでも幸せを見つけられるようになるし、世界の探検を(恐ることなく)日々深めていくこともできる。あなたはいくらでもクレイジーになれるのだ。
そしてベッドに逃げ込んで「今日は最高だった」と笑顔で眠りに入りなさい。それが祈りとなる。明日も目覚めとともに神秘が開かれるようになる。生きてるって素晴らしいことなのだと思えるようになるだろう。
?
4.
この世は虚無のうえに浮かんだ夢にすぎない。何かを深くこだわったところで、その否定しか見えてこないようになっている。だから恋愛にしろ暮らしにしろ、「狭くこだわること」が人生に虚しさを感じさせる要因となるのだ。もともと「何もない」のだからね。
許せない人、許せない出来事はそれ自体を解決するものではないということだ。あなた自身が許せる人間にならなければ、その夢は解き放たれない。
もちろん物事にこだわるから「虚無」なのであって、お金も他者も夢であるとわかっていれば、それは虚しいものではない。
その無、つまり絶対的な否定性とは何かといえば、死のことだ。
?
5.
あなたはいずれ肉体の死と直面する。
つまり「生きていく」ということは「死に向かっている」ということになる。「私は生きていくぞ」とは「私は死んでいくぞ」と同義、「生=死」だ。
だから自分が「死する存在であること」を片時も忘れずにいることで、生を鮮烈なものにすることができる。逆にいえば、食べていかなきゃならないということだけに気持ちが向いているというのは未来志向、すなわち死を回避したいという思いが根底にあるわけだが、それは同時に生を遠回りしているということであるのだ。
迂回してもたどり着く先は同じだ。「迂回することが全人生だった」ということほど虚しいものはない。
?
6.
あなたは瞬間ごとに死んでいる。今日死ぬし、明日も死ぬ。1秒後にも死んでるし、1秒前など存在しない。
この世はすべてを吸い尽くしていく巨大な掃除機のようなものだ。その渦にすべてが吸い込まれていく中で「存在」という答えを出せるのは「いま生きていること」にどっぷりと浸かるあなたの姿だけなのだ。
それが人生を解決するということだ。あなたが自分自身を活動の舞台として取り扱うならば、すべての他者や物事は許される。そうして世界を解き放ちなさい。闇のなかで輝く光となること、それがあなたがその生で託された、たったひとつの仕事なのだから。
あなたの存在そのものが、この世界のすべての「理由」なのだよ。




 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月22日(月)07時47分22秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
  瞑想の段階

毎日に疲れているなら
あなたは自己を逃している
無意識に生きているからだ
他者や物事といった
外側の反応に追われ
毎日同じ時間に同じことを考えている
昨日、先週、先月、
いったい何が違うというのだろう?
まるで場面の変わらない紙芝居
同じ絵で静止したまま
人生だけが過ぎていく
それは生きているというよりも
命を浪費しているだけ
あなたは「今日をやり過ごそう」
としているが
いつまでそれをやるのだろう?
「他にやることがないから」
「やりたくない仕事もやらないと」
とまあ口を開けばまたお決まりの言葉だ
あなたが「パターン」から
抜け出すためには
やりたいことを探すことでもないし
胸が熱くなるように仕向けることでもない
自分が無意識であることに気付いて
それを金輪際やめるだけだ
つまり瞑想的に生きるということ
瞑想とは意識を内側に
繋ぎとめておくことだから
どんなことも瞑想にすることができる
コップを持つこと
食べることや歩くこと
誰かとの会話も仕事も瞑想になる
つまり行為がメインではないのだよ
意識をしっかりと掴んでおく
それさえできれば
あなたは神秘の世界に到達できる
疲れることもなく
苦悩することもなく
完全に解放された自由な世界で
あなたは伸び伸びと暮らすようになる
それだけじゃない
物事はどんどん好転し
あなたがかつて望んでいた人生に
気が付けばそうなっているようになる
それは決して
今の環境を変えるということではない
あなたが変わるから世界が変わるのだよ
?
瞑想の段階
瞑想状態は自己に対する
何らかのアプローチを経て到達する
そのアプローチを強引に
「段階」として記してみると
・内省
・自己想起
・自己観照
この3つとなる
多くの人々が瞑想だと思って
やっているのが内省だ
壁を見て壁について考える
呼吸の出入りを見て
呼吸について考える
心は静まるかもしれないが
それはリラクゼーションの域を
超えることはない
対象に囚われているから
自己がない
自己に向ける意識がない
で「これじゃ光明が起こらない」と
また考え出す
考え続ける限り、
マインドに抱かれたままとなる
次に自己想起の段階がある
強烈な自己イメージが起こり
世界が自分を中心に
広がっている感覚が起こる
いわゆる「いまここ」や
「私は在る」という状態
自分の名前を意識して
自分をここに存在させてごらん
また何かに触れるとき
その何かだけでなく
触れている自分にも
同時に意識を向けてごらん
見ること
聞くこと
どんなことも双方向に意識を向ける
すると意識の変容が起こる
体にまとわり付いていた何かが
足元に溶け落ちる感覚が起こる
視界がぐっと明るくなる
両足が大地に接地する感覚が起こる
時間の経過が消えて
永遠の中を泳いでいるような感覚になる
これが目覚めや光明といわれるもの
だが最初のうちは一瞬で終わる
思考が邪魔をするからだ
この「目覚め」の次元は
思考から離れたときに開かれる
つまり未来と過去に意識がいかず
「いま」に自己が存在している様子
しばらくはこの状態を維持できるよう
頑張ってみるといいだろう
1日中自己想起を
続けられるようになる
そして次の段階に自己観照がある
あなたは別の場所から
自己を見ている
あらゆる光景が目の前で流れるだけの
テレビ映像のようになる
すべてのリアリティが消滅して
ふとあなたはこの世の正体に
気付いてしまう
何も実在しない
何も実在しないゆえに
すべてが私となる
石ころも
花も
遠ざかる車も
すべての人や物の背後にある
漠然とした何かを感じる
それが神であるなら
神とはこれを観ている私である
だが私はどこにもいない
生きながら死んでいる状態
スピリチュアルではこれを不死性という
自己想起も全体性に触れているが
自己観照は全体性そのものとなる
流れ出るままに
パラパラと書いてみると、、
自由であるというよりも
連動感、一体性、「それそのもの」、
サマーディ、
幸福感というよりも喜び、
1mmも動けない
距離は失われる
すべてが貼り付いている
充満しているひとつの空間
鐘の余韻のような世界
記憶
昨日も明日も同じ空間にある
すべてが同時に起きる、、
いま出てくるのはこんな感じだね
自己想起が狭く深い、
貫いている感じがあるのに対し
自己観照は無限に広いが奥行きはゼロだ
すべてが私の部分であるようになる
常に完結が過ぎていく
だがこれらはあくまで
私がいまここで書いている表現に過ぎない
大事なのはあなたが
「この文章が見えていること」に
気付いていることなのだよ






 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)22時07分49秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 




.
 

(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)22時01分53秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 




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(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)17時23分28秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 







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(無題)

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 5月 8日(月)13時02分6秒 pc122138.ztv.ne.jp
返信・引用
 



 

掲示板が完成しましたキラキラ

 投稿者:teacup.運営  投稿日:2017年 5月 7日(日)22時21分8秒 pc122138.ztv.ne.jp
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