「小さないのち」のなかま

【掲示板のおねがい】 この掲示板は、こども遺族の会「小さないのち」が主催しています。 投稿は、基本的にお子さまを亡くされた方と考えています。 ここで思わぬ傷つきが発生しないように、書かれた内容に対する「否定的な言葉」「価値観の押しつけ」がないようにお願いいたします。会代表 坂下裕子



カテゴリ:[ 健康/医療/介護 ]


323件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[235] 一人息子が脳腫瘍で旅立ちました

投稿者: ヒロ 投稿日:2020年 3月 5日(木)12時44分32秒   通報   返信・引用

最愛の息子が2月半ばに天国に旅立ちました。高校2年生。大切な1人息子でした。昨年11月に視野狭窄から視神経に脳腫瘍が見つかり経過観察中?(3月始めに手術をする予定でした)の最中のお正月に意識を失い救急搬送、脳腫瘍からのまさかの大量出血でした。
命の危険な状態、お正月なのに主治医がいたのが幸いで一命を取り止めました。しかしそこからが本人にとって全てが辛い日々の始まりでした。出血でダメージを受けた脳の腫れが治るまでずっと熱が高く意識が戻るのもゆっくりだったけど命が助かっただけで嬉しかった。
リハビリも進み身体の動きも良くなり言葉もじわじわ出て来るようになって良い方向に向かって来た矢先にくも膜下出血発症、直ぐに止血し血液も循環で流れたのにそこから容体が急変原因不明で脳圧が勝手に上がり点滴をやっても全く効かず脳が膨れ上がり脳の機能停止。内臓は元気だから2週間頑張り続けました。
夫婦交代で病室に泊まり込み昨朝夫から危ないと連絡もらった私が病室に駆けつけたら止まった心臓が再度動き出し待っててくれたんだと。最期は穏やかな顔でした。

入院中たくさんの友達が会いに来て高校では親友もいて女子からも慕われていたらしく救ってやりたかった。セカンドオピニオンに時間掛けず最初の主治医の言う通り早めに年内に手術しとけば良かったと何度も何度も悔やみました。
どの先生も出血するとは予測不可能だった。

順調に学校生活も部活もすごく楽しんでいたのになんでこんな試練を息子に与えたのか。息子にはこれから先たくさん楽しんで欲しかった。息子は病気のことで親に当たったりしないただ学校に行くことを励みにしていた我慢強い子でした。

成人になるにつれ退縮していく自然治癒の可能性に皆期待していたのに、2月の検査で大きさ変わって無ければ手術って覚悟していたのに、なんで出血させるんだ~脳腫瘍コノヤロー!3月コロナで学校休みなのにやりきれないよねって毎日話しかけています。
ただ息子の脳腫瘍は全摘はムリだったし化学療法もあり、かなり本人にとって辛い治療になったかもしれない。

脳腫瘍、私が変わってやりたかった。息子には元気に長く生きて欲しかったです。私は流産繰り返し息子に弟妹を作ってやれず大切な存在でした。毎日泣いてばかりで眠剤と安定剤が頼りです。
仕事は職業相談員でしたが今は仕事できる状態ではなく退職することにしました。長々とすみません。




[234] Re: 次男を2歳で亡くしました。

投稿者: さかした 投稿日:2020年 2月25日(火)13時17分36秒   通報   返信・引用 > No.233[元記事へ]

そうあん さん

そんなに突然に、
また、本当に日も浅く
どんなにおつらい毎日をお過ごしのことか。

私たちの子どもって、偉大ですよね。
親の私たちが経験したこともない、耐えたこともないことを
乗り切って、そして、生ききった・・・

私も、気づいてあげられなくてごめんなさいと、
思い続けました。

小さすぎて、幻のように思えたこともありますが
私たちって、色んな事がわからない、誰のこともわからない
ようになったとしても、
亡くなった子のことだけは、忘れることがない
と聞いたことがあり、
私は、ほっとしました。

むしろ、これから蘇ってくる記憶も、
たくさんあると思います。
共有できるとうれしいです。




[233] 次男を2歳で亡くしました。

投稿者: そうあん 投稿日:2020年 2月25日(火)11時51分18秒   通報   返信・引用

先月に次男を絞扼性イレウスで亡くしました。急にお腹が痛いと言いだしかかりつけの病院に行ったら胃腸炎と診断され1日様子みても改善せず総合病院に行くとイレウスで脱水症状のため入院となりその日の夜に容態が急変しそのまま帰らぬ人となりました。病理解剖の結果メッケル憩室による絞扼性イレウスでした。
メッケル憩室とは腸の先天性奇形だそうです。息子は爆弾を抱えながら2歳まで私を心配させまいと元気に生きてくれていたんだと親孝行な子だと思います。
もっと早く気づけてたら、なんで自分の子がとか後悔もずっとしてて何もやる気が起きません。ただ痛かっただろうな、もっと生きたかっただろうな、なのに自分は美味しい物食べて長男とも遊べて罪悪感もあります。私も早く次男の所に行きたいとも思うのですが死にたいのかと問われると生きていたいです。本当に至らない親でごめんねと次男に謝り続ける日々です。次男は確かに生きていたのにそれさえも幻だったんじゃないかと思います。



[232] のびさんへ

投稿者: 投稿日:2020年 2月 7日(金)10時11分14秒   通報   返信・引用

温かいお言葉の数々、ありがとうございます。
優しいお言葉をかけていただき、私も何度も涙しました。

のびさんも、お子さんを亡くして大変な中、本当にお辛い思いをされましたね。
読んでいて、私も涙してしまいました。
辛い、苦しいなんて言葉では表せませんよね…。
ただでさえ自分の子供を亡くして辛いのに、周囲からの対応にまた傷付いて…。
この気持ちは想像してもしきれない、言い方が悪いかもしれないけれど、経験した人しか分からないんですよね…。
自分より大切なものをなくす本当の気持ちは経験しないと分からない。

子どもの未来を奪ったと思って、申し訳なく思われている気持ちも痛いほどよく分かります。
自分が守ってあげなければいけなかったのに、守れなかった。
その事を考えると、苦しくて…。
でも、のびさんの子供は今は苦しみはないという言葉を読み、少し救われました。
子供が、今苦しくなければ、それだけでも良かったなと。
ただ今は、子供が苦しくない事だけ、穏やかにお空で過ごせる事だけを想像して、耐えていきたいと思います。

私も、亡くなった時より少しだけ周囲を見られるようになってきて、のびさんからの助言もあり、坂下さんの日記を拝見させて頂きました。
その中に少しでも生きていくヒントを得たい…と思い拝見させて頂きましたが、ご遺族の方からの
「子どもが亡くなって、どう耐えてどう生きていけばいいのかそれに対する答えはない。
答えと思えるものは振り返ったところにしか見えてこない」
というコメントを見て、
「あぁ、私も生涯この子が亡くなった事を考えて、耐え生きていく事しか出来ないんだな」と感じました。
でも、そこに一つ生きていかなければいけない理由を見つけたような気がしました。
この子の事を忘れず、心の中で一緒に生きていく事しかしてあげられないんだな、と…。

昨日、遺髪をネックレスに入れました。
作業の間は涙が止まらず、慟哭してしまいましたが、ネックレスにして形になると、「ずっと一緒にいられる」と思い、少しだけ、心が軽くなった気がします…。

のびさん、
本当にたくさん、優しいお言葉ありがとうございます。
今はまだ頑張れないけれど、もう少ししたら息子の写真や動画を見たり、思い出せるように、私も記録に残してみたいと思います。
後を追う事をなるべく考えず、息子を心の中で生かしてあげたいと思います。
ありがとうございます。



[231] ありがとうございます。

投稿者: さかした 投稿日:2020年 2月 7日(金)00時53分9秒   通報   返信・引用

ブログ、読んでくださっていると
書いてくださり、力をもらっています。
ありがとうございます。

日々、いろんなことがありますが
私もがんばります。

毎日書くと、どうでもいいことも書いてしまいますが
毎日書きます!




[230] 陽さんへ

投稿者: のび 投稿日:2020年 2月 5日(水)19時57分44秒   通報   返信・引用

陽さんの経験されたこと、涙して読みました。

私は、直後より数ヶ月後、自責感が出てきて、そこからまた行ったり来たり…。
会で見聞きするほかの親ごさんのことは何にもわるくないと思うけれど、自分の子のことでは全て両親の責任だと思ってしまいます。

警察の関係する方だから配慮されることがある一方で、関係者だから受け入れなくてはならないこと、両方あるのではないかな、と思いながら読みました。
ご自宅を掻き回された、とのこと、おつらいですね。
お子さんと過ごされた大切なご自宅を、ショックと悲しみの嵐の中で…。

私は朝方から昼まで子どもを看取り、その当日に夜半までかけた警察での取り調べ、自宅での調査、2時間以上かけたポリグラフ検査、と心身ともにボロボロでした。
こんなつらいことが世の中にあったのだな…と
思いました。

自分が死ねばよかったのに、という気持ち、よくわかります。
ただ、家族を亡くしたつらさ、その同じ想いはさせられない、周囲の人のためには死ねない、も同じです。

私も、ただ生きているだけでした。
苦しくて、苦しくて…。
子どもの未来を奪ったと思って、申し訳なくて。

それでも、今私は苦しくても、子どもには今は苦しみはないということ、そのことで少しずつ楽になっていきました。
楽になりたくなくても…。

私は我慢が苦手な性分で、言いたいことは言う、泣きたいときに泣くようにしました。
甘えられる人には甘えました。
家まで来てくれる人、ランチに誘ってくれる人、一緒に泣いてくれる人もいました。

それでもときに、外を歩く親子や、日々に必死な友人さえもがうらやましくて、気力が湧かなくて、閉じこもる日々があります。
そんなときは、少しの家事、後はただゴロゴロしたり眠ってばかり。趣味も減ったなぁと思います。
焦っても、子どもがいない時が過ぎるのは遅く感じました。
ただ生きているだけ、でも半年、経ちました。
時は経ってしまうのですね。

最近はここのHPの坂下さんの日記を読んで、夢のように幸せだった子との思い出は忘れないようにしようと書き留めようとしています。
小さないのちの会でのやりとりに救われている一人です。

陽さん、今は決して頑張らないで、と思います。
頑張れる時になったら、頑張ればいいと思います。
今はお子さんのために、たくさん涙を流して、悲しんであげてほしい。
少し笑えるようになったら笑って話しかけてあげてください。
陽さんの近くにお子さん、いますよね。



[229] のびさんへ

投稿者: 投稿日:2020年 2月 5日(水)12時55分42秒   通報   返信・引用

ご返信、ありがとうございました。
当時の事を思い出すのはお辛いと思いますが、教えて頂きありがとうございます。

旦那さん不在の中での出来事に、とてもショックで怖かったですよね。
病気とはまた違う心の準備もない中で、自宅で起きる事は本当に衝撃で…。
医療者として乳幼児突然死症候群を知っているとは言え、まさか自分の子供がなるなんて、想像しませんでしたよね。
本当に、何で自分の子供だったのか、何故このタイミングだったのか、他にも同じ様にしている人は沢山いるのに、なぜなぜ、なぜ…と考えてしまいます。

自分のせいでは無いと周りから言われても、前向きに生きないと子供が辛いと言われても、全く耳に入りません…。
もし本当に自分のせいじゃないとしても、言葉も話せない子供を亡くしてしまったのは、自分のせいにしか他ならない、なぜ体調の変化に気付いてあげられなかったのか、あれが悪かったのか、これが悪かったのか、と…。

解剖に送る時は、本当に辛いですよね。
ただでさえ小さな体で辛かっただろうに、冷たい暗い部屋で解剖をされるであろう息子の事を考えると、代われるなら代わりたい、自分だったら良かったのにと、何度も思いました、

> 警察の方はまめに電話、とのこと、親切な対応だったのでしょうか。
> 事情聴取や現場検証はされたのでしょうか。
幸い、主人が警察だったため、来て下さった警察は元同僚の方でした。
みなさん泣きながら、現場検証を行なってくれました。
周囲の理解はありましたが、だからこそ司法解剖は免れなかった部分もあります…。
また、少しでも分かった事があると電話連絡して下さり、教えてくれるのですが、その都度「やはり私が悪かったのではないか…」と自責の念に駆られ、辛いです。

自宅で亡くなると、事件性を疑われて辛いですよね。
やはり私たちも事件を疑われ家の中を掻き回されました。
ただでさえ子供を失ってまだ心がついて来ていないのに、沢山人が入ってきてぐちゃぐちゃに。
みんなが帰った後、その状況に耐えられず、声を上げて泣き続けました。
のびさんはきっと一人だったので、ますますお辛かったですよね。
ご自分のお子様を大切に育てていたのに疑われて…心中察するに余りあります。

体調のご心配、ありがとうございます。
おかげさまで眠れてはおりますが、やはり食べると「自分の子供はもう食べる事が出来ないのに、自分は何故食べられるのか…」と考えてしまい、ちゃんとは食べられていません…
ですが、今度は自分の両親や主人が心配してしまうので何とか食べています。

気持ちが色々と整理出来ず、前向きに…と思いながらも正直まだ後を追いたいという気持ちもあります。
ですが、自分の家族にも同じ思いをさせてはならないと葛藤しながら、歯を食いしばっているところです。
皆様のお話を聞くと、「みんな苦しくても頑張っているんだ」と、頑張って生きなければと思います。
お辛い中、体験談を教えて頂きありがとうございました。



[228] さかしたさんへ

投稿者: 投稿日:2020年 2月 5日(水)12時23分57秒   通報   返信・引用

ご返信、ありがとうございます。

さかしたさんも、似たような状況だったのですね…。
お辛かったですよね。
何故何故から抜け出せず、苦しいです。

次の子供についても、経験者の方のお話教えて頂きありがとうございます。
先の事は分かりませんが、今後子供が出来るかどうかも分かりませんが、出来たとしてもきっと私たちも葛藤の中での妊娠になると思います。
でも、ちゃんと個々として愛している、育てている方のお話を伺うと、少し前向きに考えたいと思います。

まだ日が浅い中で、まだまだ前を向いて生きていく事には程遠いですが、それでも少しずつでも生活を取り戻せる努力をしていけたら、と思います。
ありがとうございました。



[227] 陽さんへ

投稿者: のび 投稿日:2020年 2月 4日(火)20時49分19秒   通報   返信・引用

はじめまして

初めての投稿ですが、重なることが多く、書いています。
私の子どもは、昨年6月になくなりました。
生まれて退院10日め、夫を仕事に送ったあと、授乳後20分ほど添い寝してしまい、頼んでいたヘルパーさんが来たことで子の様子に気づきました。
ミルクに血が混じったようなものを鼻から逆流させ呼吸をしておらず、顔色は真っ青でした。
ヘルパーさんと救急に連絡し、心臓マッサージ、救急搬送し、蘇生はできたのですが、脳のダメージが大きく、1か月半後に両親の看取りのもと見送りました。

きちんと乳幼児突然死症候群を理解しておらず狭いところに寝かせてしまい、また授乳してゲップもさせずすぐに添い寝し、私が寝入ってしまった。
長く離れていますが、元保健医療の関係者です。
誰しも私のせいではないと言いますが、後悔してもしても、しきれません。
周囲の人々をもっと育児に巻き込まなかった自分を棚にあげての夫などへ湧いてしまう怒り…。

司法解剖に送るときの自分の身を切られるようなつらさ、せめて付いていけたら行ったのにと思いつつも警察の捜査で迎えにも行けなかった。
私は持病もあり眠剤を飲んで寝ていましたが、食べて寝られることにも罪悪感…。
私は高齢出産で、次の子をと焦るお気持ちも痛いほどわかります。

警察の方はまめに電話、とのこと、親切な対応だったのでしょうか。
事情聴取や現場検証はされたのでしょうか。
私は、家に一人だったので、虐待、殺人の捜査となりました。
初めて見た殺人という文字のショックは強くて耐えられず、泣き叫んでいました。
決して私が寝入っても触れてもおらず、外傷もないけれど、きちんとケアせず目を離した私が悪い、捕まった方がいいのかなとも思いました。
最近、警察があらゆる医療機関で話を聞いてもやはり病気かどうかは不明だが、乳幼児無呼吸症候群としてもいいのではないかとの意見もありました。
警察では本当には疑ってはいないものの、検察からの指示でこれで調査を終了させるためと、再び聴取を受け心が波立っています。

私のことばかりになってしまいました。
今は眠れて食べられていらっしゃるのでしょうか。
2年以上、お子さんを心を込めて、慎重に育てられ、こんな私がおこがましいかもしれない。
ただ、少しでも食べて、体を休めてほしい、話せる人には話して泣けるなら心のままに泣いてほしいなと思います。
支離滅裂な長文失礼しました。



[226] Re: 先日息子を亡くしました。

投稿者: さかした 投稿日:2020年 2月 4日(火)16時28分57秒   通報   返信・引用 > No.225[元記事へ]

陽さん

はじめまして。

こんなにも似た状況、あるんですね。
私の子も、2階に寝させて、その場を離れている間の発症でした。

なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、と
問い続け、動かしようのない後悔を向き合ったのも
まったく同じですね。

私は、その後は授からなかったのですが
年齢的なことが、ありますよね・・

葛藤のうちに産んだ方や
中には、生まれ変わりを信じて産んだ方もいて
たくさんの方と出会ってきましたが
みなさん、生まれてきた子を、個の存在ととらえ
愛情たっぷりに育てておられますわ。

だからといって、
亡くなった子を置き去りになどしていない。

前を見て、後ろ(横かな?)も見て、今も見て
母には、生きていく力があるのだなあと
教えてもらっているしだいです。






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