teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 足あと帳(0)(管理人)17/04/12(水)06:21
スレッド一覧(全1)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


角田源氏「初音」帖。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 4月17日(水)20時47分58秒 KD119104006060.au-net.ne.jp
返信・引用
   玉鬘姫を迎えて明けた新年だったが、紫の上と仲睦まじく過ごすかと思いきや、光君は夏の御殿の花散里に会いに行っては、兄妹の仲のように語り合い、その西の対に迎え入れた玉鬘姫を父親のように愛しく思い、秋の御殿に行っては、改めて明石の君の魅力に惹かれて一晩過ごしてきては、朝帰りして紫の上に言い訳をする。一夫多妻制とはいえ、今も昔も変わらぬ、浮気男の言い訳の嘘をつくさまは、昭和時代の昼メロでも見ているのかと、錯覚してしまうほど俗っぽくて笑える。
 しかし、いやしくも正妻は紫の上であり、可哀想なのはたとえど田舎の明石から引き立てて連れてきたとはいえ、明石の君である。いつ来るともしれぬ光君を待って、しかも娘まで取られてしまって、心の慰みがあまりなそうで、それでも明石のど田舎で身を朽ち果てさせるよりは、何百倍も幸せだったのだろうか、などと思うと、当時の幸福感に貧弱なものを感じてしまう。
 そのあと、二条に残してきた、末摘花と空蝉を訪ねる光君であったが、末摘花は阿闍梨の世話をしている兄に衣服を取られて、寒々しい格好をしていて、あまつさえ鼻が赤い。その花を「世の常ならぬ花」と詠う光君には、すこし泣けるところがあるが、それは光君がここでは、ブス女もその特徴を「花」として愛している、少なくとも愛そうとしている、優しいこころの持ち主として描かれているからである。空蝉も、袿だけ残して光君から逃げてしまって、出家したあとに光君と再会した女性だが、その当時の依怙地さが抜けて、当時の思い出話をしみじみと話す、良い仲になっているが、光君は尼の空蝉にはそれ以上近づけないのだった。
 このように、一度求愛した女性の一部をすべて、面倒を見ているというのは、当時としては男の甲斐性だったのだろうが、そんなに何人もにいい顔をしているのは八方美人的であまり、いい男のようには思えないのは、僕がもてない男ゆえの僻みだろうか。
 たしかに、末摘花を紅花として愛する心意気は、かなり思いやりがあるし人間愛に満ち溢れている。女性の顔や性格など、痘痕も靨ということはままあることだ。しかし、それは気立てのいい女性を知ったら、普通は比較してしまって、醜い女性のことを忘れてしまうと思うのだが、そこがこの光君の超人的なところなのだろう。愛に溢れていないとなかなかここまで、多くの女性に愛情を振り撒けない。性欲だけではここまで出来ないのは確かである。
 この帖は、光君の女性愛がよくわかる帖だった。
 
 

角田源氏「玉鬘」帖。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 4月16日(火)21時19分4秒 KD119104000254.au-net.ne.jp
返信・引用
   夕顔との死別がとても口惜しく感じるのは、殆んどの読者に共通の認識ではなかろうか。角田さんの源氏物語上巻を読み終えて後、僕は明石の君も確かに美しく感じたので、六条の邸に呼ばれて側妻として光君に特別目を掛けられているのは嬉しかったけど、夕顔が可哀想で成らなかった。しかも、あの都の中の穴場的隠れ宿で、幽寂な寝殿造りの庭に森の茂る中で、人目を避けて逢った光君と夕顔というシーンは、とても情趣豊かでその後の霊障による死と相俟って、とてももの悲しさを感じさせ、禁忌的ノスタルジーのような甘く苦い夢幻となって、物語の中にずっと遺っているのだった。それは、夕顔が霊として小説の中に取り憑いている証拠でもあり、六条御息所に呪い殺された葵の上などの記述上の亡霊と異なり、一読者の僕にかなり印象深く記憶されているのである。
 その夕顔と頭中将の子供である姫君が、乳母の夫が太宰府に赴任するときに、ともに下向していたのだが、その太宰の少弐が亡くなると、筑紫の武士である大夫監という剛の者が、噂を聞きつけて姫君を奪いに来る。そこで、乳母の息子の長男である豊後介は急いで舟を出して、追いつかれないように早々と京へ向けて逃げ上がる。しかし、何年も空けた京都は、豊後介のつてはなにもなく途方に暮れていたが、とりあえず京に戻れたことなどを神仏の御加護だとて、八幡様にお参りに行ったところ、夕顔の世話をしていた右近の君に出逢う。右近は現在、光君に仕えている女房だ。
 そこで、その姫君(玉鬘)が、六条の邸に引き取られることになるという、とりあえずは夕顔が少しは報われたかのような帖である。
 それにしても、この帖でも思うが、そんなに女性は見掛けが大事なのか、ということである。結局は、紫の上が一番容姿も美しいと言うことに成っているが、女性の美しさなど、多かれ少なかれたいして変わらないのだ。それは、現在のアイドル歌手などを見ればよく判ることだ。それとも、平安時代は、令和を迎えようという現代よりも、女性の容姿が美しかったのだろうか? 大体において、末摘花が形式張っていて硬っ苦しい性格に書いてあって、その容姿も見なければよかったと光君に思わせるほどのものというふうに、源氏物語では女性の価値が外見で決まっていて、外見が悪いものは女性らしくもなくて中味もよろしくないような書きようをしてあるが、これも軽薄すぎる人間の価値観である。仏教観も、ずっと一心にお祈りしていたから願いがかなったのだという、現世利益的な非仏教的なアニミズム的ものになっているのが、よくわかる。
 その辺は、紫式部自身の価値観のあらわれであっただろうし、平安貴族の価値観の限界であったような気もする。少なくとも、人間の価値は容姿では決まらない。目と鼻と口と耳がついててその相互位置と大きさ形が違うだけで、何が違うというのか? そんな感官器官の相互位置で人の価値が決まっていいものだろうか? 大体において、顔が美しいというのは、どういう感情なのか? 美女とは何か? いろいろ考えさせられるものではあるが、「帚木」帖で語られているのが、上辺上の源氏物語の女性美観だとは思う。しかし、そのとおりでは必ずしもなくて、この物語では、結局は容姿が大切なのではないかと、さまざまなシーンを読んで思わずにはおれない。
 とまれ、なかなか面白い帖だった。
 

歌集「存在」大下一真著――世尊の大地より

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 4月14日(日)08時25分46秒 KD111239239186.au-net.ne.jp
返信・引用
   黒瀬珂瀾さんから戴いたこの歌集は、臨済僧の大下一真さんの手によるものだそうだ。歌集などなかなか読み込めるものではないが、とりあえず「世尊の大地」の章を読んでみた。中から三種選んで、吟味してみる。

 インドわが世尊の大地降り立ちてあまねくそそぐ光まぶしよ

 「わが世尊」というのは少しエゴイスティックな気がしないでも無いが、大我の我ととれば、我々全てに還元される我である。つまりは梵我のがである。その全宇宙の所有になる大地に立ったとき、遍照する日光が眩しかった。しかし、この歌には主語がない。「インド我世尊の大地降り立ちて」なら主語は大下僧正そのものになるが、「我が」となると「我が」が普通は「世尊の大地」に掛かる所有格になる。しかし、意味を通すように読むと、「我が」は、「吾」「が」となって、この場合の「が」は主格になって、「降り立ちて」に掛かってくることになる。
 つまり、インドの地に降り立った、それは空港のことですらあるかもしれないが、その天竺に降り立ったときに、照りつけた光明を、日照の内に感じた歌なのだろう。インドを崇高に感じるところが、信仰の厚さが窺えて、インドの聖地に訪れてみたくなる。しかし、基本、聖地などと言うものは、それこそ随所に敷衍されるべきもので、華厳経の立場からすれば、すべての日常生活のなかに、仏国土が現成しなければ、悟りに近いとは言えない。インドに憧れるのは判るが、聖地などと言うものは、ただの遺跡だ。そこをもう少し深く洞察してほしいと思ったのは、我が不遜さだろうか。

 朝靄は鷲山に湧きてはるかなり拈華の世尊微笑の迦葉

 霊鷲山に大下僧正は行ったのであろう。そのときに朝靄が掛かっていて、下界の風景の遥かに遠くまで拡がっていた。紫雲を思わせる朝靄だが、それは阿弥陀如来の来迎を想起させるところだ。しかし、臨済宗も禅宗なので、御本尊は釈迦如来様だろう。そこで、来迎してくるのが釈迦牟尼仏の正法眼蔵の初めての単伝の劇的瞬間の記憶であった。それは、霊鷲山に刻印されているかの如く、僧正の脳裏に蘇ったのだ。お釈迦様が成道なさったのと同様、摩訶迦葉に単伝した瞬間は、劇的な奇蹟だった。単伝されなければ、この素晴らしき教えは現代まで伝わってこなかった。それは浮世の救済の始まりであり、密厳国土の現成に向かう第一歩だったかもしれない。

 沙羅の木に風渡るとき目を閉じて入滅の夜の慟哭聞けり

 クシナガラの沙羅双樹の下で、お釈迦様は涅槃なさった。そのクシナガラの涅槃の地に、大下僧正は赴かれたのだろう。その沙羅双樹を目の前にしたときに、風が辺りに吹き渡った。その葉の擦れる音が聞こえてきそうだが、眼を閉じておそらくは合掌していたかもしれぬ大下僧正は、その葉音が入滅の夜の慟哭のように聞こえた。
 しかし、葉の擦れ合う音は、慟哭と言うよりは、涕泗に近い。啜り泣きである。釈尊の厳かな入滅には、僕は激しい慟哭は似合わないと思う。どちらかと言えば僕は、涕泗とか落涙とかを取るであろう。それでは、釈尊の偉大さが伝わらないと、言う方がいるかもしれないが、釈尊の死はもっと静かに、悟り人然としていたような気がするのは、僕だけだろうか。

 僕は、インドのブッダガヤやクシナガラには行ったことはないが、これらのロマンチックな歌を読んで、一句詠いたくなった。

 鷲山から聞こゆる説法今に到り雨は冷たく日射は暑く

 なかなか上手く歌えませんが。
 

海市歌会に出て。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 4月11日(木)20時52分44秒 KD111239238024.au-net.ne.jp
返信・引用
   昨日の海市歌会は、黒瀬さんを含めて五人しか来ていなかった。風邪や仕事などで、都合の悪い方が多かった所為だが、それだからこそ却ってじっくり話せて、改めて自分の選のわるさと詠歌の稚拙さがまざまざと判った日だった。
 それまでは、僕は小説家だから短歌は趣味程度、と思っていたが、同じ文学であるので、かなり勉強になる部分が多く、趣味程度と遊んでもおられなくなった。少しは上手い歌を歌わねばならないのではないかと、自省した。
 小説も読まなければなかなか上手く書けないのと同様、短歌も外の作品を吟味しなければ上手くなれない。だから、判らないながらも、いろいろ吟味してみようかと思った。
 黒瀬の著書としては「空庭」を戴いているし、大下一真著の歌集「存在」もお譲り戴いているので、いろいろ吟味してみようと思う。
 たとえば、「空庭」からは、この季節だけに「春の聖域」から一首

 中心に死者立つごとく人らみなエレベーターの隅に寄りたり

 ――死者とは幽霊のことか、それを不吉な雰囲気として感じて避けるかの如く、エレベーターの籠の中心がぽっかり開けられて、人は壁沿いに立っている。これがなぜ「春の聖域」と題する句の中に入っているのか、その事情も知らなければ、知識も素養もない僕には判らないが、死者の立つべく空間が「春の聖域」を著しているようで、このシュールさがとても気に入ってしまう一句である。死者が聖域というのは成仏したからか、それならば幽霊のようにエレベーターのど真ん中に居座ったりはしないのではないだろうか……。春は、芽が張るから春というのだ。生命力の萌芽する季節――どこもそこも息吹で鬱蒼と茂っている春の世界のその聖域は、却って生命を寄せ付けない「死」の世界であったか!!
 おそらく、見当外れの解釈だろうが、テーマ的には面白いので、僕も一首挑戦してみた。

 冬越して花咲く季節に息絶えぬ我が祖父の命いずこ芽生ゆる

 じつは、記憶はあやふやだが、たしか晩冬から初春にかけての逝去ではありましたが……。
 なかなか、うまく詠えないものです。
 

Re: 不調

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 4月 3日(水)23時27分27秒 KD111239251068.au-net.ne.jp
返信・引用
  > No.309[元記事へ]

 ピカソなどは、平静なこころでないと、美しい芸術を生み出せないというような意味のことを言っています。ぼくは、若い頃、それは喜劇詩人的考え方だと思っていました。それで、太宰治のような、人生自体不幸を生きてその実体験を元に、暗い物語を書くのが悲劇詩人だと思っていました。若い頃、僕は苦しい人生を余儀なくされていたので、音楽もマーラーやチャイコフスキーのような、短調の優れたコンポーザーが好きで、喜劇詩人より悲劇詩人の方が人生を苦労して生きている分、芸術的だと考えていました。これは、プラトンの「饗宴」に書かれていることと真逆でした。
 しかし、やはりプラトンの言うことは正しくて、悲劇に拘るうちは、真の芸術は産み出せないというのが、現在の僕の見解です。芸術は、全生命を注いで創作するものでなければ、なかなか優れたものが出来ません。芸術の芸術たる一つの条件は、それを創造するときの真剣味にあると言えます。真剣味が強ければ強いほど、その芸術はクリアーになると僕は思っています。なので、手を抜いてはいけない分、なるべく平静な気持ちで、真剣に向き合って芸術を創造せねばならないのではないでしょうか。
 病気の時は、どうしても弱っているから、真剣にやっても病状に犯されて、真剣度が落ちてしまうものです。生命の維持の方に、精神力も割かれてしまうからです。なので、喜劇詩人の方が優れた芸術を産み出せると、僕も今は思います。
 病気の時は、むしろ一切、芸術活動を辞めて、病気を治して平常にもどってから、芸術に向き合うようにせねばならないと、僕は思います。
 

不調

 投稿者:藍崎万里子  投稿日:2019年 4月 3日(水)20時52分29秒 cyadg148175.c-able.ne.jp
返信・引用
   ここ数日間というもの、体調不良で、全然、文化的活動ができなかった。
 どこかの文学賞に出せないかな? と、無理なことを模索しながら書いていた、北日本文学賞一次選考落選作「うちのおばあちゃん」を、30枚から70枚までにする試み。もしかしたらもっといくかもしれない、というところで、倒れた。
 吐き下しはもとより、頭痛に高熱、一気に襲ってきた。最初のうちは軽く見なしていて文学的活動も耐えながらやっていたが、もう限界状態に陥った。4月1日、まさに新元号の発表の日の朝、立ち上がることができず、這ってトイレまで行って吐いた。夫に連絡することもできず、そのまま父に病院に連れて行かれた。
 病院は、大正生まれのお年寄りたちのたまり場になっていて、みんなが新元号の噂をしていた。延基じゃろう。いや、明和じゃろう。という声声の中、一人一時間半もかけて栄養剤の点滴を打った。そうしていながら、いや、明和はないやろ。明治と被るし、和も昭和と被るし。とか思っていたら、みんなの噂話で、新元号が「令和」になったことを知った。「はあ? 和、正解かよ」と驚いた。
 それからぶっとい吐き気止めの注射を打たれて、インフルエンザの検査をして、陰性だったので、10日分の吐き気止めのクスリをもらって帰った。が、帰ったあと、38度の熱が出たのである。
 あのヤブ医者が! と思いながら、富山の置き薬「広貫堂」のヒロリンを飲んだ。解熱剤である。
 そしたら、一時的だけだが効いて、その夜は大丈夫だった。
 次の日、もっとちゃんと見てもらおうと、また同じヤブ医者に行った。熱は、昨日と同じ36度9分。昨日と同じように「はい、熱は無いですね」と言われた。違うよ。昨日も同じやったやろうが。夕方から出るんだよ。と思った。思っただけでは伝わらないので、診察でそうはっきり言った。そしたら今度は、ロキソプロフェンとムコスタをもらうことができた。
 そして、今日を迎えている。ロキソプロフェンとムコスタを飲み続けているので、熱は無い。しかし、相変わらず、どうも調子がおかしい。今日は特に、精神症状が出てしまって、一日中幻聴の嵐だった。精神薬も充分増やしているのに、なんでこんな目に遭うのだろうかと途方に暮れている。
 今日は、朝、夫と喧嘩してしまったことも、大きいのではないかと思われる。
 まあ、文学と関係ないことをダラダラと書いてしまったが、そういうわけで、今日も、文学的活動は一切できなかった。明日は、良い日になるといい。
 長々と愚痴を聞かせてしまってごめんなさい(m_m)
 皆さんも、くれぐれも、体調にお気を付けくださいませ。
 

Re: 新元号について。

 投稿者:藍崎万里子  投稿日:2019年 4月 1日(月)22時06分55秒 cyadg148175.c-able.ne.jp
返信・引用
  > No.307[元記事へ]

令、と、和、という組み合わせは、まさに昭和と同じなんですね。昭和はそんなに良い時代だったんでしょうか。昭和天皇は良い方だったと思っていますけど、高度成長以外にも、戦争もあったし。そういうことを考えると、今後、自民党は、経済的に世界一になることと、軍事力でも今度は絶対負けない。中国と戦争になっても勝つ。という意気込みでいるのかな。と勘ぐってしまいたくなります。
 妄想の粋を脱しませんが、もし仮に、そういうことを盛り込んでいるとしたら、残念に思います。本当に、回帰ではなく、新しい時代に相応しい美しい元号にしてほしかったです。
 ツィッターにも書きましたが、意味も分からず見た感じでは、令、は、非常に上品な感じがします。新しい天皇陛下に相応しいと思います。しかし、和、は、バカでも昭和の和を考えてしまう。意味が分かっても分からなくても、昭和回帰を思わせるとは、狙い通りなのでしょうか。過去は過去なのに。
 いろいろな方々が、鋭いことを指摘されておられます。私はその足下にも及びませんが、今回の新元号は、私にとっては、かなり期待外れでした。まさに新しい人生に踏み出そうとしている時だからこそ。

>  新元号について、黒瀬珂瀾さんも書いていたが、漢語読みすると、レ点を打って「和(なご)ミ令(し)ム」と読めて、万葉集云々は国民を納得させるためのえせ出典でしかなく、某独裁的与党の公約的年号と取れなくもない。妻などは、中国の出典を離脱したことに関して、中国批判が入っているのだという考えを述べていたが、それも同時にあるかもしれない。だいたい、万葉集のどこから取ったかと言えば、河出書房新社のツイッターによると「于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉」かららしくて、それならば、なにも「令」と「和」をこの18文字の中から抽出してくる必要性はないわけで、特に助字にも使える「令」を取ってくるのは、どうもおかしくてこじつけがましい。この中から取るなら、僕なら「春」「月」「淑」「和」「鏡」「粉」であるだろう。この出典元の意味は、たぶん「初春二月に、空気きよく風なごやかで梅は鏡の前の粉をひろげる」とか言う意味で、晴天の初春の梅が、鏡に映った埃をも、清めるというような、春や梅の美しさを述べたものであるはずなのに、そこから「令和」と取るのは、意味がまるでズレている。「令」には「明るい」の意味もあるが、それでは、暗に「昭和」に戻ろうといっているようなもので、退歩的年号にも思える。だから、万葉集の意味から違えずに取って年号にするなら「披令」とか「令淑」とかにすべきで、「令和」としたのには、与党の国家権力でねじ伏せようという、愚かすぎる意地のようなものが見て取れて、やはりこの党くさっとるけど自ずからを見ん党やなあ、とか言いたくなる莫迦騒ぎかな。
>  そんな意地はらんでもええやろ? 嘘も方便てこともしらんのか、あほ大臣どもは? せめて、「脱核」とか「辞戦」とか、年号だけでも嘘こけんかったか? と改めて某自民党の阿呆さ加減を思う今日でした。
 

新元号について。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 4月 1日(月)21時47分30秒 KD111239251108.au-net.ne.jp
返信・引用
   新元号について、黒瀬珂瀾さんも書いていたが、漢語読みすると、レ点を打って「和(なご)ミ令(し)ム」と読めて、万葉集云々は国民を納得させるためのえせ出典でしかなく、某独裁的与党の公約的年号と取れなくもない。妻などは、中国の出典を離脱したことに関して、中国批判が入っているのだという考えを述べていたが、それも同時にあるかもしれない。だいたい、万葉集のどこから取ったかと言えば、河出書房新社のツイッターによると「于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉」かららしくて、それならば、なにも「令」と「和」をこの18文字の中から抽出してくる必要性はないわけで、特に助字にも使える「令」を取ってくるのは、どうもおかしくてこじつけがましい。この中から取るなら、僕なら「春」「月」「淑」「和」「鏡」「粉」であるだろう。この出典元の意味は、たぶん「初春二月に、空気きよく風なごやかで梅は鏡の前の粉をひろげる」とか言う意味で、晴天の初春の梅が、鏡に映った埃をも、清めるというような、春や梅の美しさを述べたものであるはずなのに、そこから「令和」と取るのは、意味がまるでズレている。「令」には「明るい」の意味もあるが、それでは、暗に「昭和」に戻ろうといっているようなもので、退歩的年号にも思える。だから、万葉集の意味から違えずに取って年号にするなら「披令」とか「令淑」とかにすべきで、「令和」としたのには、与党の国家権力でねじ伏せようという、愚かすぎる意地のようなものが見て取れて、やはりこの党くさっとるけど自ずからを見ん党やなあ、とか言いたくなる莫迦騒ぎかな。
 そんな意地はらんでもええやろ? 嘘も方便てこともしらんのか、あほ大臣どもは? せめて、「脱核」とか「辞戦」とか、年号だけでも嘘こけんかったか? と改めて某自民党の阿呆さ加減を思う今日でした。
 

小説とは

 投稿者:藍崎万里子  投稿日:2019年 3月29日(金)10時33分2秒 KD106130215214.au-net.ne.jp
返信・引用
  私は、風景情景心理描写の無い、スカスカの、北日本文学賞に出した小説「うちのおばあちゃん」を、今、四苦八苦して、加筆訂正しています。
大坪さんのように、小説の良し悪しなど分からないので、とりあえず今、第3回群像新人賞受賞作「魔笛」を読んで勉強させてもらっています。暗い小説世界ですが、なかなかいい味を出していて、物悲しさがジンと迫ってきます。
大坪さんの場合は、こう、という小説の形が、はっきりしているのではないでしょうか。もう完成型が見えている。というか。
私も頑張っていきますが、どこまでいけるか分からないし、先が見えません。頑張れば報われる世の中とも言えないような気もしますし、徒労に終わらせないためにも、受賞作を選んで読んだりしてるのですが。それはどういうもんでしょうかね。すでに終わっている歴史をたぐるようなものです。新人賞に出していく以上は、今からどうなのかが問われます。新しい時代に、新しいものを打ち出すことができなければ、やはり才能不足でしょう。
私は、今の時代にそれ?古くない?というようなものばかり書いてきたのに、今やっと1960年の小説を読んでいるのですからね。カズオイシグロを読む大坪さんはまさに時流に乗っていますね。ガルシアマルケスも、そんなにすごいんですか。私も是非読んでみたいです。
いずれにしても、頑張っていきます。私の肉体と精神がついてくる限り。大坪さんと共に、頑張ります\\\\?( 'ω' )? ////
 

翻訳小説の弱さ。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 3月29日(金)07時51分47秒 KD111239246221.au-net.ne.jp
返信・引用
   このたび、ノーベル文学賞受賞作家の作品「遠い山なみの光」を読んだのだが、文体が何分にも面白みがない。小説は、文章を楽しむ芸術でもあるゆえ、文章が面白くないのは、小説の魅力を半減させる。まあ、日本文学でも一部のミステリー小説やライトノベルなどは、あまり表現が面白くない日本語で書かれているものだが、ノーベル賞受賞作がそのように面白くない表現であるのは、とても興醒めだ。これはたまたま、今回読んだカズオ・イシグロさんの原文が、面白みが無かったのではないかという可能性もゼロではないが、不気味な情景やユーモラスな表現などが見受けられるので、むしろ翻訳者の凡庸さが原因なのではないかと、思ったりもする。
 同じ、ノーベル賞受賞作でも「百年の孤独」はとても印象的で素晴らしい小説だった。ガルシア・マルケスが判らない人は、小説が嫌いだと言っても差し支えないだろう。それくらい、面白い小説世界だった。それは、翻訳者が凡庸でなかったこともあるのではないかとも、思われる。
 一方で、「百年の孤独」の小説世界は、とても興味深くて印象深いと言うことも、この小説の偉大さを示している。「遠い山なみの光」も、描かれている小説世界は、結構美しい情景ではある。しかし、それほど度肝を抜くものでもなく、日本文学の中には、この小説より美しい小説が多くあるように思う。
 表現も美しく、描く世界も美しく、そうありたいのが、理想的小説像と言うことだろうか……。
 

レンタル掲示板
/34