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  1. 足あと帳(0)(管理人)17/04/12(水)06:21
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Re: 今日の勉強会

 投稿者:藍崎万里子  投稿日:2019年 3月18日(月)14時38分51秒 cyadg148175.c-able.ne.jp
返信・引用
  > No.303[元記事へ]

おつかれ様です(*^◯^*)
北日本文学賞受賞作「種を蒔く人」を読みましたが、一度読んだだけでは、良さがわからず、何がピンクの花じゃ、とか思いましたσ^_^;   でも、もう一度読み直してみると、確かに、大坪さんのおっしゃる通り、とても深いテーマを持つ小説でしたね。
ただ、たった30枚だからでしょうが、上っ面をさらったような感じを受けます。何事も深く掘り下げることなく、大坪さんもおっしゃってましたが、話だけで終わってしまった。という感じ。
そんな中で、私が一番力を感じた、炎の湖面、の描写を、私が一番気になったという理由から、ワークショップの課題に選んでしまったために、大坪さんには大変不快な思いをさせてしまったようで、申し訳無い気持ちです。大坪さんに対する嫌がらせでそうしたわけではなく、単なる偶然です。強烈な個性というものは、ある人にはひどく嫌われ、ある人には強く好まれる、と言いますが、私はこの箇所が、作者の個性だと断定して選びました。それで怒りを買ってしまい、とても残念に思いました。
でも、人それぞれ、考え方があるので、あんまり人の嫌がることをしてはいけないな。と反省しました。でも、私は人間関係の計算というものができないので、おそらくまたやらかしてしまうでしょう(; ̄ェ ̄)普通の人なら学習するところ、わたしには、家族にも再三言われますが、学習能力がないので。社会に適応できないのもそのためです。話は大きくそれますが、それでも、発達障害と診断されたことはないです。でも、近いものはあると思います。
話は元に戻りますが、炎の湖面に代表される、つながりのない言葉の組み合わせ、の他にも、大坪さんや、また、もちろん、他のメンバーの方々の、嫌いな文章や言葉については、もう少し気を遣わなくては、と思っています。人間に好き嫌いがある以上、起こるのはやむを得ない問題だと思います。ただわたしが言いたいのは、どんな人にも、1人くらいは味方がいるのではないか。ということです。その1人を裏切って、大勢の意見を取り入れるのか。自分が自分でなくなって、誰からも愛されるタイプに変わるように努力するのか。もちろん、それでもいいけど、それは、他人から無理強いされることではなく、その人自身が決めることだということです。それはいわば、芸術だったら大衆化する。ということです。
私が譲れないことがあることを、悪く言って欲しくないです。適当にどうでもいいと思ってないのであれば、一文字であっても、思い入れがあります。それを変えることはできません。
負けたことしかない私に対して、勝ち尽くすことしか頭にない。とかも、言って欲しくないことです。私は今までの人生にで、一度でも、勝ったことはありません。戦いましたが、勝てませんでした。そのことを少しもなんとも思っているわけではありませんが、なんで今更まだ責められないといけないのか、意味が分かりません。
いろいろとキツイことを言いましたが、私は芸術家ではないので、無名のくせにプロみたいなこと言っちゃって笑える。とかいう人もいますし、未だに敵だらけなので、身内にまで批判されるとキツイです。
長くなりましたが、この問題以外の問題も、今から次々と出てくるでしょう。その時に、どう解決されますか?   とことん話し合っても解決されないときは、違いを尊重するしかないと思っています。そうすることが、結局のところ、今からの同人がのびのび活動できるか否か、がかかっていると思います。
いろいろ生意気なことを言ってごめんなさいm(._.)m










>  今日は、今年の北日本文学賞受賞作「種を蒔く人」を輪読して、感想を述べ合った。三人集まれば文殊の知恵とは良く言ったもので、四人集まっているので、かなり色々な知見が得られた。僕一人では判らなかった、小説の諸側面が浮き彫りにされて、ネタ的にはかなり豊穣な内容を持つ作品であることが良く判った。ただ、どうしても拭えないのが、色々なものを押し込みすぎたという凝縮感である。このネタを全て書くのなら、30枚は勿体ない。せめて100枚は書かないと、深く掘り下げられないというような印象を、僕は持った。無精子症の「マァちゃん」の絶望感や、それを乗り越えるために小説を書いたが、それも長続きせず、ニートかプー太郎のような生き様になってしまった人生の悲しさ辛さ、そういうものを深く描くには、30枚は少なすぎるのだ。どうせなら、そういう人生のワンシーンをカットして、細密に描いてみたら、もっと読みやすい作品になっていたのではないか、と言う気がした。
>  その証拠に、輪読後、メンバー各々が、小説の気に入った部分を、それぞれ細密に描写してみたら、みなさんとても多くの文字数で書くことが出来た。それだけ、内容の濃い作品なのだ。それを全部すし詰めにするから、舌足らずの寸詰まり尻切れトンボになってしまっているような受賞作だった。
>  まあ、しかしいろいろの見方が出来て面白かった。
 
 

今日の勉強会

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 3月17日(日)20時56分54秒 KD111239243094.au-net.ne.jp
返信・引用
   今日は、今年の北日本文学賞受賞作「種を蒔く人」を輪読して、感想を述べ合った。三人集まれば文殊の知恵とは良く言ったもので、四人集まっているので、かなり色々な知見が得られた。僕一人では判らなかった、小説の諸側面が浮き彫りにされて、ネタ的にはかなり豊穣な内容を持つ作品であることが良く判った。ただ、どうしても拭えないのが、色々なものを押し込みすぎたという凝縮感である。このネタを全て書くのなら、30枚は勿体ない。せめて100枚は書かないと、深く掘り下げられないというような印象を、僕は持った。無精子症の「マァちゃん」の絶望感や、それを乗り越えるために小説を書いたが、それも長続きせず、ニートかプー太郎のような生き様になってしまった人生の悲しさ辛さ、そういうものを深く描くには、30枚は少なすぎるのだ。どうせなら、そういう人生のワンシーンをカットして、細密に描いてみたら、もっと読みやすい作品になっていたのではないか、と言う気がした。
 その証拠に、輪読後、メンバー各々が、小説の気に入った部分を、それぞれ細密に描写してみたら、みなさんとても多くの文字数で書くことが出来た。それだけ、内容の濃い作品なのだ。それを全部すし詰めにするから、舌足らずの寸詰まり尻切れトンボになってしまっているような受賞作だった。
 まあ、しかしいろいろの見方が出来て面白かった。
 

Re: 名誉。

 投稿者:藍崎万里子  投稿日:2019年 3月 9日(土)17時36分31秒 cyadg148175.c-able.ne.jp
返信・引用
  > No.301[元記事へ]

「 恁麼」を読ませてもらった藍崎万里子ですo(^▽^)o
今までのどんな小説にもない、新しい、いい意味で変わった作品で、心に深く残りました。
今日は忙しくて無理でしたが、今日届いた「鞭と人参」と「眼」も、今から数日かけて、ゆっくり読ませてもらいますね(^_-)-☆   この二つの作品も、大坪さんの作品の中でも、特に大好きな作品なので、ワクワクします(*^◯^*)
賞については、その出版社の特質もあるし、時もあるし、運もあるし、だと思うので、全然気にされなくていいと思います。
私も、文学賞には一応出し続けますが、傾向と対策、全くなしです( ̄▽ ̄;)      一次選考通過する前にお祝いしといてもらいます(^-^)v
みんな大事な芸術家、だと私は思っているので、大坪さんは、大坪さんの道を、今からもずっと、命ある限り、燃やしていってください!
いつまでも応援していますo(^▽^)o!!

>  ノーベル賞の取り合いで、川端康成と三島由紀夫は死んでしまった。人は、名誉を欲する。歴代の禅僧などでも、道元の師匠如浄は、皇帝のお招きを固辞したそうだが、そういう無欲さすら名誉として後世に残ることを考えると、名誉欲というものは、とてもしぶとく根強く、人間社会に根付いてしまっている。
>  確かに、そういう拘りから脱して、人に阿呆呼ばわりされても、自分らしく生き生きと活力に満ちた生き方を出来たなら、どんなにか幸せだろう。
>  しかし、実際のところ、僕は名誉を捨てきれないし、少なくともその道の識者には認められたかったり、違いの判る読書家には判って貰いたかったりする。それだけの内実を込めた作品を書いている自負は充分あるし、僕の読書力がこのうえなく低くない限りにおいては、世の中に出回っている作品の中で、本当に内容が充実している作品がどれだけあるのか、疑問に思わずにおれない。
>  確かに、受賞作の中には良い作品があるし、僕が遥か叶わないと感じさせる力量を見せ付けられるような作品に出逢うことも、たまにある。しかしそれは、たまにである。僕の読解力が不確かだとか言われたらそれまでだが、僕が叶わないと感じない程度の多くの作品が受賞できるなら、なぜ僕の作品が少しも評価されないのか、不思議でならない。はっきり言って、編集者や選考者の読解力を疑ってしまう。
>  「恁麼」はあえなく一次選考すら通らず玉砕してしまったが、それはあの作品の底流たる静かなテーマが読解できなかったからとは言えないだろうか? 文學界の一次選考選考者さんにいいたいが、本当に、先入観なくして読んでますか? どうせ田舎の莫迦親父の書いたハチャメチャ作品だとか思って、舐めてません? だいたい、選考に残ったものの八割くらいが都心部のものだったりするところ見ると、東京に住んでないと不利なのかな、とか思ってしまう。それくらい、公正性が疑われる賞の選考である。
>  書けば書くほど頭にくるのでこの辺でやめておくが、まあ、選ぶのも人間だと言うことである。そのうちAIが選ぶ賞というのが出来たりしたら、そっちの方が良い作品が選ばれないとも限らない。すっかり、出版社が嫌になった今回の124回文學界新人賞の結果だった。
>  もちろん、僕のように同じく苛立っている著者が、山ほどいることは重々承知だ。僕だけが涙をのんだのではない。しかし、本当に公正に選んでいるのか、それは実を言うと不可能なことなのではないか、そんな気が最近しています。良い大学出て、東京に在住して、それなりの作家人生を歩いていないと、作品までまともに読んで貰えないのではないかと、そんな気が最近している。
>  なんで、応募するときに略歴を書かねばならないかだ。略歴は、偏見の材料だ。あんなもの必要ない。
>  まあ、こんなこと書いても、負け犬の遠吠えと嘲笑われるのが関の山か……。悲しいものだ。
>  とにかく、今月中にまた文藝賞に応募するが、たぶんまた一次選考も通らないだろう。僕は既にかなり出版社に偏見を持たれている。田舎の生意気な危ないメンヘラオヤジくらいに思われているに違いない。それでも、そんな偏見どこ吹く風ぞ、と小説を創作し続けるのが我が人生だ。
>  いつか認められたとして、そのときになっても、今日の屈辱は決して忘れまいと思う。「恁麼」が第一次選考を通らなかった屈辱は、一生の僕の勲章だ。一生認められなくても、そのことを誇って土に還ろうじゃないか。編集者がそんなに偉いんか? 彼らに媚び売る必要がどこにある? 彼らには、僕の芸術が理解できないんだ。僕とは相容れない価値観の持ち主なのだ。彼らには、僕の新奇な試みを評価しようという、寛容な芸術家魂がないのだ。決まり決まった規則に従った折り目正しい作品でないと、満足できないのだ。良い大学を出て、学を積んだ由緒正しい芸事のような文学しか評価できないのだ。
>  上等だと思う。一生、編集者たちと戦ってやろうじゃないか。どうせ、僕の作品なんか、ろくすっぽ熟読もしないに決まっている。最初の部分だけ読んで投げるか、流し読みして終わるか、いずれにせよ、理解しようとする気持ちに欠けている。そりゃ、編集者も人間だ。認めたくない人間もいようさ。しかし、それでは真の芸術は死んでしまう。美術界の昔のサロンのように、良いものを判ろうとせず、正統なものだけを選んでしたり顔して絶賛するのが、人間のさがだ。それは仕方がない。僕は、モディリアーニとかゴッホとかのように、生前は認められないのかも知れない。それは、すこしも幸せな人生ではないが、少なくとも歴史に足跡は残せるだろう。僕の読者は、ひょっとしたら未来の大衆なのかも知れない。
>  まあ、そういうことも充分あり得るから、せめてもの日々の楽しみも持っておかねばならない。つまりは、仏教にあるように、小欲に生きることだ。名誉欲も少しで満足すれば良い。大衆に認められなくても、妻や友達に読んで喜んで貰えれば、それで充分じゃないか。僕自体は、芸術家魂を研ぎ澄ますことに集中すれば良い。芸術とは何か? 少なくとも、人を感動させるものでなければ、芸術とは言われない。強烈なインパクトは、芸術の道具だ。インパクトを与えられれば、感動させるまでもう一歩。そして、僕の人間に底流する、「願意、世界平和」というテーマを、ずっと打ち鳴らし続ければ良い。感動させれば、人のこころは動く。芸術は、人間を向上させるためにあるのだ。芸術至上主義ではいけない。やはり、芸術より人間や自然が大切なのだ。人間と自然の共存が、世界平和のテーマの終着目標であろう。
>  賞なんか、犬にでも呉れてやれ!! ぺっぺです。
>  
 

名誉。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 3月 9日(土)16時32分27秒 KD111239237066.au-net.ne.jp
返信・引用
   ノーベル賞の取り合いで、川端康成と三島由紀夫は死んでしまった。人は、名誉を欲する。歴代の禅僧などでも、道元の師匠如浄は、皇帝のお招きを固辞したそうだが、そういう無欲さすら名誉として後世に残ることを考えると、名誉欲というものは、とてもしぶとく根強く、人間社会に根付いてしまっている。
 確かに、そういう拘りから脱して、人に阿呆呼ばわりされても、自分らしく生き生きと活力に満ちた生き方を出来たなら、どんなにか幸せだろう。
 しかし、実際のところ、僕は名誉を捨てきれないし、少なくともその道の識者には認められたかったり、違いの判る読書家には判って貰いたかったりする。それだけの内実を込めた作品を書いている自負は充分あるし、僕の読書力がこのうえなく低くない限りにおいては、世の中に出回っている作品の中で、本当に内容が充実している作品がどれだけあるのか、疑問に思わずにおれない。
 確かに、受賞作の中には良い作品があるし、僕が遥か叶わないと感じさせる力量を見せ付けられるような作品に出逢うことも、たまにある。しかしそれは、たまにである。僕の読解力が不確かだとか言われたらそれまでだが、僕が叶わないと感じない程度の多くの作品が受賞できるなら、なぜ僕の作品が少しも評価されないのか、不思議でならない。はっきり言って、編集者や選考者の読解力を疑ってしまう。
 「恁麼」はあえなく一次選考すら通らず玉砕してしまったが、それはあの作品の底流たる静かなテーマが読解できなかったからとは言えないだろうか? 文學界の一次選考選考者さんにいいたいが、本当に、先入観なくして読んでますか? どうせ田舎の莫迦親父の書いたハチャメチャ作品だとか思って、舐めてません? だいたい、選考に残ったものの八割くらいが都心部のものだったりするところ見ると、東京に住んでないと不利なのかな、とか思ってしまう。それくらい、公正性が疑われる賞の選考である。
 書けば書くほど頭にくるのでこの辺でやめておくが、まあ、選ぶのも人間だと言うことである。そのうちAIが選ぶ賞というのが出来たりしたら、そっちの方が良い作品が選ばれないとも限らない。すっかり、出版社が嫌になった今回の124回文學界新人賞の結果だった。
 もちろん、僕のように同じく苛立っている著者が、山ほどいることは重々承知だ。僕だけが涙をのんだのではない。しかし、本当に公正に選んでいるのか、それは実を言うと不可能なことなのではないか、そんな気が最近しています。良い大学出て、東京に在住して、それなりの作家人生を歩いていないと、作品までまともに読んで貰えないのではないかと、そんな気が最近している。
 なんで、応募するときに略歴を書かねばならないかだ。略歴は、偏見の材料だ。あんなもの必要ない。
 まあ、こんなこと書いても、負け犬の遠吠えと嘲笑われるのが関の山か……。悲しいものだ。
 とにかく、今月中にまた文藝賞に応募するが、たぶんまた一次選考も通らないだろう。僕は既にかなり出版社に偏見を持たれている。田舎の生意気な危ないメンヘラオヤジくらいに思われているに違いない。それでも、そんな偏見どこ吹く風ぞ、と小説を創作し続けるのが我が人生だ。
 いつか認められたとして、そのときになっても、今日の屈辱は決して忘れまいと思う。「恁麼」が第一次選考を通らなかった屈辱は、一生の僕の勲章だ。一生認められなくても、そのことを誇って土に還ろうじゃないか。編集者がそんなに偉いんか? 彼らに媚び売る必要がどこにある? 彼らには、僕の芸術が理解できないんだ。僕とは相容れない価値観の持ち主なのだ。彼らには、僕の新奇な試みを評価しようという、寛容な芸術家魂がないのだ。決まり決まった規則に従った折り目正しい作品でないと、満足できないのだ。良い大学を出て、学を積んだ由緒正しい芸事のような文学しか評価できないのだ。
 上等だと思う。一生、編集者たちと戦ってやろうじゃないか。どうせ、僕の作品なんか、ろくすっぽ熟読もしないに決まっている。最初の部分だけ読んで投げるか、流し読みして終わるか、いずれにせよ、理解しようとする気持ちに欠けている。そりゃ、編集者も人間だ。認めたくない人間もいようさ。しかし、それでは真の芸術は死んでしまう。美術界の昔のサロンのように、良いものを判ろうとせず、正統なものだけを選んでしたり顔して絶賛するのが、人間のさがだ。それは仕方がない。僕は、モディリアーニとかゴッホとかのように、生前は認められないのかも知れない。それは、すこしも幸せな人生ではないが、少なくとも歴史に足跡は残せるだろう。僕の読者は、ひょっとしたら未来の大衆なのかも知れない。
 まあ、そういうことも充分あり得るから、せめてもの日々の楽しみも持っておかねばならない。つまりは、仏教にあるように、小欲に生きることだ。名誉欲も少しで満足すれば良い。大衆に認められなくても、妻や友達に読んで喜んで貰えれば、それで充分じゃないか。僕自体は、芸術家魂を研ぎ澄ますことに集中すれば良い。芸術とは何か? 少なくとも、人を感動させるものでなければ、芸術とは言われない。強烈なインパクトは、芸術の道具だ。インパクトを与えられれば、感動させるまでもう一歩。そして、僕の人間に底流する、「願意、世界平和」というテーマを、ずっと打ち鳴らし続ければ良い。感動させれば、人のこころは動く。芸術は、人間を向上させるためにあるのだ。芸術至上主義ではいけない。やはり、芸術より人間や自然が大切なのだ。人間と自然の共存が、世界平和のテーマの終着目標であろう。
 賞なんか、犬にでも呉れてやれ!! ぺっぺです。
 
 

「鞭と人参」その後。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 3月 6日(水)18時53分35秒 KD111239243126.au-net.ne.jp
返信・引用
   新たに仕切り直して、注文した「鞭と人参」だったが、初め火曜日到着予定だったのが、明日予定に延期された。そのうえ、まだ発送通知が来ない。また、同じことの繰り返しか? なんなんだ、今回に限ったこの発売遅滞は?
 未だに、発送通知が来ないところを見ると、一度延期された到着予定日が更に延期される可能性大である。そのくせ、同時に注文した「花に贈る……。」だけは到着するのである。なんなんだろうか……。まあ、多少の遅れは仕方がないが、こう延び延びになると、なんか不自然な圧力が掛かっているのではないかと、勘ぐらずにおれない。
 まあ、そんな大した話でもないのだが、新しいと言えば新しいので、危険図書として、発行に圧力でも掛かっているのだろうか、とか統合失調症的な被害妄想を抱いてしまうが、そんな大した作品ではないので、たぶんアマゾンの「鞭と人参」発行担当者がドジっているのだろう。どうせ、僕と妻しか買っていないのだ。気長に待つしかない。
 今、アマゾンページを見ると、3/8~3/10にお届けに変更になっていた。担当者よ、僕はドジる弱者に対して酷いことは言いたくはないが、一言お詫びのことばを述べてくれないか。あまりにも、延び延びになりすぎだ。この様子では、3/10になっても、また延期される可能性大である。
 こまったものだ。

 

https://www.amazon.co.jp/l/B00J5U8WPQ?_encoding=UTF8&redirectedFromKindleDbs=true&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true

 

アマゾンに苛められる。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 2月28日(木)17時45分31秒 KD111239247186.au-net.ne.jp
返信・引用
   僕は、今日日付で「鞭と人参」アマゾンPODを、出版した。昨日まで、発売日当日到着の予約販売を行っていたので、僕も購入した。なのに、昨日も今日も、まったくアマゾンから、発送しましたの連絡メールが来ない。
 おかしいので、発送状況をアマゾンページで見てみると、まだ未発送のままである。そのくせ、配達予定日だけは、2月28日とかしれっと書いてあるのだ。おかしすぎる。
 それで、アマゾン・カスタマーサービスに電話してみた。担当者は、全く親身に相談に応じてくれず、碌に調べもせず、発送予定日が決まったら自動メールが行きますとかなんとか、誠意のせのじも感じられない対応だった。
 それで、対応が悪いと評価を送信したことが、却って横車を押したか、改めて「鞭と人参」のページを見たら、到着予定日3/23~4/21に変更になっていた。それはあまりにも酷い仕打ちではないか? 2/28発売予定のものが何で一、二ヶ月も遅滞せねばならないのだ? しかも何の説明もこちらに対して無い。
 頭にきたので、今度は著者セントラルから、メールを打った。どういう理由で、一、二ヶ月も遅れるのですか、理由を説明して下さい、と。
 すると、更に状態が悪くなって、「鞭と人参の」PODの表示が消えてしまった。むりやり「他のエディション」を見ると、辛うじてペーパーバックは表示されるが「品切れ」となってしまっている。
 品切れっつったって、僕の本なんて何の受賞もしてないんだから、どうせ僕と妻以外は買ってないに決まっているのにね二冊頼んだだけで品切れかよ、ひどすぎんか? これでは、すこしでも読みたいと思っていたかもしれない人の、販売意欲を削いでしまって、明らかに営業妨害だ。酷すぎる。
 無料で出版してくれるからありがたいのはやまやまだが、だからといってこの営業妨害はなんなのだ? どんなに注文が入ったとしても、友達などが買ってくれただけだろうから4~5冊のはずだ。これで、ネクストパブリッシングの売上ランキングなんて毎週のように統計を取っているのは、あまりにも不公平ではないだろうか?
 とことん付いてない男やねえ、僕も。こまったものだ。
 

https://www.amazon.co.jp/%E9%9E%AD%E3%81%A8%E4%BA%BA%E5%8F%82-%E5%A4%A7%E5%9D%AA%E5%91%BD%E6%A8%B9/dp/B07NRKG7PC/ref=tmm_pap_title_0?_encoding=UTF8&qid=1551343200&sr=1-1

 

黙っとき、とか言われそうやけど。

 投稿者:Pearsword  投稿日:2019年 2月27日(水)20時27分5秒 KD111239242009.au-net.ne.jp
返信・引用
   町屋良平さんの「1R1分34秒」を読み出して、まず感じたこの新鮮な文体と作品世界は、さすが芥川賞受賞作家だと思った。僕の小説が殆んど評価されないことの一因は、文体も作品世界も、凡庸だからに過ぎない。「新奇性」がないとは、前から思っていたことだが、それは自分が新しくない人間だから仕方の無いことなのであって、むしろ自分を追究して、非凡な点を塵芥ほどでも良いから見付け、それを伸ばしていけば、新奇性が産まれる余地があるだろう。
 しかし、岡本太郎さんは、芸術は創造することが至上命令だとか仰っていたが、闇雲に新しいものを目指せば良いというものでもなくて、それは科学も芸術も同じだ。精神性の無い新奇性は、危険であり破壊的ですらあり得る。そんな新奇性要らない。
 まあ、やはり小説家として生きるなら、自分らしく生き生きと生きるという、岡本太郎さんの箴言を、見倣わねばならないと思うものである。
 にしても、僕の作品はどうも凡庸のように思えるなあ……。
 
 

Re: 「鞭と人参」出版申請。

 投稿者:大坪命樹  投稿日:2019年 2月20日(水)17時38分49秒 KD111239244062.au-net.ne.jp
返信・引用
  > No.296[元記事へ]

 アマゾンもネクストパブリッシングも、事業開始当初から比べて大分処理が迅速になってきたようで、もう販売準備が出来てしまいました。そこでもう一度、出版しなおして、はや第二版ということになってしまいました。
 しかし、恥本を晒すよりは、と思い、さっさと今処理中です。
 処理が終り次第、発売日を告知して、SNSで流す予定です。
 藍崎さんには、僕の作品で完成したものは、学生時代のSF以外はすべて読んでもらっているので、足を向けて眠れません。いつもありがとうね。
 三月には、「禅僧小話集」も、解説付きの第二版を出す予定です。そのあとは、「孤独な恋人」が四月くらいに初版が出るかな、といったところですかね。
 「癲狂恋歌」も出したいのですが、なかなかそこまで辿り着かず、四苦八苦しております。
 そんな雑事に追われつつ、なかなか「ウラーメロディエス」の推敲が進まない状態で……。困ったものです。
 

Re: 「鞭と人参」出版申請。

 投稿者:藍崎万里子  投稿日:2019年 2月20日(水)15時04分31秒 cyadg148175.c-able.ne.jp
返信・引用
  > No.295[元記事へ]

こんにちはーo(^▽^)o
「鞭と人参」も「眼」も、大好きです(*^◯^*)!!   アマゾンで見させてもらいましたが、私の好みよりはちょっと地味な表紙ですね。でも、東京ってこんなイメージだし、日本の中心って感じで、やっぱり灰色なんだろうかな。と。日本には太陽がないんだよ。という名作の言葉を思い出します。
あとがき、間違えられたんですか。今のうちに買っちゃおっかなー。珍しい版。私はこの作品二つともすごく好きなので、ペーパーバックで手に入れたいです。Kindle版も欲しいですけどね。紙の本が好きです。
と言いつつ、今持ってる自分の本、自炊しようとしたりしてますけどね。マジで業者に頼もうかと思いました。そういう過去を通ってきて、結局、紙の本がいいや。と思い至った現在です。おばあちゃんとかにも見せびらかせるので( ̄▽ ̄;)ははは。
話が逸れてしまいましたが、この本、是非買わせてくださいね(^_-)-☆   久しぶりに読むの、楽しみです???   早くペーパーバック買えるようになーれ(*^◯^*)!!
また書きまーす(^-^)v

p>  まえまえから、僕の初期作として「鞭と人参」と「眼」をカップリングして出版しようという企画を考えていたのだが、空華第八号の表紙を作った下さったりしていた、お世話になっているデザイナーさんが、その表紙絵は難しくて描けませんと、真摯に答えるものだから、そんな大層な作品でもないのに、と申し訳なくなった。彼女には、「仏化の劫火」以来、「6」「好き病み」「飛梅」となんでも頼んでいたため、そんな大仰に考えなくても良いのに、と気の毒に思ったのだ。
>  しかし、誰も他に当てはないし、旧知の級友がデザイナーをやっているところに頼んでも、あまり乗ってくれないし、途方に暮れていた。誰も表紙を作ってくれないから、原稿があっても本が出せないのである。まさか自分で下手くそな絵を描くわけにもいくまい。
>  しかし、「鞭と人参」を思い返すうちに、そもそもこれは、夭逝した親友のために捧げた作品だったことを思い出したのだ。初出の「コスモス文学」No.229には、「戦友故R・Tに捧ぐ」と副題が打ってあるのである。そのことを思い出して、東京の街並みを表紙にしてもいいかな、とふと思った。そのR・TことN・Mは、高校来の僕の親友で、ともに東京で戦ったという思いがあったのである。「東京砂漠」という感じが出て、なかなかいい感じなのだ。
>  しかし、あとがきにそのことをつらつら書いていたら、R・Tとは、リゲインスト・トウキョーの略だ、などと大ボケこいてしまった。在京自体よく見た、時任三郎の「リゲイン」と「アゲインスト」という前置詞が、こころのなかで膠着してしまったようなのだ。したがって、「リゲインスト」という言葉はないのだ。もとは、「東京に抗っている」という意味の、レジスティング・トーキョーの意味だったのに、時の流れは僕の低能と相俟って、記憶をぐちゃぐちゃにしていく……。
>  というわけで、アマゾンキンドルは割合すぐに直せるが、PODペーパーバックは、出版申請中は直せないので、しばらくは恥さらし本の販売になってしまうようだ。といっても、僕の知名度から言って、修正するまでだれも買わないと思うから安心だけど。
>  
 

「鞭と人参」出版申請。

 投稿者:Pearsword  投稿日:2019年 2月19日(火)20時21分3秒 KD111239238016.au-net.ne.jp
返信・引用
   まえまえから、僕の初期作として「鞭と人参」と「眼」をカップリングして出版しようという企画を考えていたのだが、空華第八号の表紙を作った下さったりしていた、お世話になっているデザイナーさんが、その表紙絵は難しくて描けませんと、真摯に答えるものだから、そんな大層な作品でもないのに、と申し訳なくなった。彼女には、「仏化の劫火」以来、「6」「好き病み」「飛梅」となんでも頼んでいたため、そんな大仰に考えなくても良いのに、と気の毒に思ったのだ。
 しかし、誰も他に当てはないし、旧知の級友がデザイナーをやっているところに頼んでも、あまり乗ってくれないし、途方に暮れていた。誰も表紙を作ってくれないから、原稿があっても本が出せないのである。まさか自分で下手くそな絵を描くわけにもいくまい。
 しかし、「鞭と人参」を思い返すうちに、そもそもこれは、夭逝した親友のために捧げた作品だったことを思い出したのだ。初出の「コスモス文学」No.229には、「戦友故R・Tに捧ぐ」と副題が打ってあるのである。そのことを思い出して、東京の街並みを表紙にしてもいいかな、とふと思った。そのR・TことN・Mは、高校来の僕の親友で、ともに東京で戦ったという思いがあったのである。「東京砂漠」という感じが出て、なかなかいい感じなのだ。
 しかし、あとがきにそのことをつらつら書いていたら、R・Tとは、リゲインスト・トウキョーの略だ、などと大ボケこいてしまった。在京自体よく見た、時任三郎の「リゲイン」と「アゲインスト」という前置詞が、こころのなかで膠着してしまったようなのだ。したがって、「リゲインスト」という言葉はないのだ。もとは、「東京に抗っている」という意味の、レジスティング・トーキョーの意味だったのに、時の流れは僕の低能と相俟って、記憶をぐちゃぐちゃにしていく……。
 というわけで、アマゾンキンドルは割合すぐに直せるが、PODペーパーバックは、出版申請中は直せないので、しばらくは恥さらし本の販売になってしまうようだ。といっても、僕の知名度から言って、修正するまでだれも買わないと思うから安心だけど。
 
 

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